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2010年2月

2010年2月 3日 (水)

第174回  権力と法律

最近、民主党の小沢幹事長と検察の闘いという趣旨の見出しが世間をにぎわせています。メディアを利用して小沢氏に対する世論を誘導する検察の作戦が効果を上げているようです。この騒動は改めて権力と法律家の役割を考えるきっかけになりました。

検察、特にその中でもエリート集団といわれる特捜部の捜査や起訴に関する権力の行使は、その対象者に大きな影響を与えます。それこそ人の人生を大きく左右します。それゆえにかつての特捜は、たとえ任意の事情聴取ですらマスコミに知られないように秘密裏に行ってきました。

ミスター特捜と言われた吉永祐介元検事総長は特捜の現場にいたころ、記者に対して「捜査密行というのはね、ただ証拠隠滅されるのを避けるためだけじゃないんだよ。事件が立つか立たないかわからない段階で、捜査の方向をあれこれ書くというのは、あんたら人を傷つけていることなんだよ。」と言っていたそうです。
そして検事総長就任にあたっての記者会見では「捜査で世の中や制度を変えようとかすると、検察ファッショになる。それは許されない。」と語ったそうです(「特捜崩壊」石塚健司著、講談社より)。

このように検察が自らその権力の強大さを自覚し自制していた時代には、検察権力の監視ということはあまり問題になりませんでした。しかし、検察もあくまでも法務省に属する行政組織です。行政権である以上、民主的コントロールを受けるべき立場にあるはずです。確かに個々の事件処理について国会からの民主的コントロールは及びませんが、唯一、法務大臣による指揮権発動が認められています(検察庁法14条但書)。マスコミにはこの指揮権発動は政治介入だということで不評ですが、私は強大な検察権力の民主的責任行政という観点からもっと評価されてよいと考えています。

かつて明治憲法下で法律家は、天皇に奉仕する者として、天皇に近い立場ほど偉いと考えられていました。裁判官、検察官が最も地位が高く、次に弁護士、そして司法書士、行政書士などのタテ序列が明確にできていました。こうした天皇主権の下での法律家の位置づけが、国民主権の新憲法への移行によって劇的に変化します。法律家も天皇のための法律家から国民のための法律家へと変貌したのです。国民との距離によってその位置づけが決まりますから、どの職種も国民に奉仕する者として、その距離は等しく、単に役割の違いにすぎないというヨコの関係になったのです。

裁判官、検察官、行政官も弁護士、司法書士、行政書士もそれぞれ国民に奉仕するプロとして、各自の役割を自覚して国民の人権を守る仕事となったのです。そこにはより偉い地位という発想はなく、単なる役割分担があるにすぎません。

強大な国家権力を行使する検察官にはこの自覚が一層必要となります。また、弁護士、司法書士など在野の法律家であっても、法律の専門知識という強い力を行使して仕事をしますから、法律的な素人たる市民の弱みに付け込んで暴利をむさぼることもできます。そこで、より高い職業倫理を身につけ、自らを律することが求められているのです。昨今の過払い金返還請求に関する弁護士、司法書士の不祥事もこうしたプロとしての自覚に欠けていたことが原因です。

将来、どのような法律家になりたいのか、今からしっかりとイメージを作っておき、自らを律する強い心を培っておくことも、受験時代の大切な課題です。