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2012年3月

2012年3月 1日 (木)

第199回 震災と憲法

先月、うれしいことがありました。
ベトナムで数人の教え子たちと会うことができました。
特にビジネスの世界で成功している教え子に会えたことは、大きな喜びでした。

彼は私が19年前に書いた「やればできる、必ずできる。」という色紙を今もベトナムで持っていてくれました。
15年もベトナムと日本企業の架け橋となる立派な仕事をしています。その厳しいビジネスの現場で私の言葉を心に留めながら、仕事をしていてくれたのです。教育者の端くれとしてこれほどうれしいことはありません。私の講義を聴いて、法律実務家のみならず、行政官、政治家そしてビジネスパーソンなど多様な分野で活躍している誰もが皆、掛け替えのない私の教え子であり、社会に不可欠の人材です。

社会は役割分担で成り立っています。
私の話を聴いてくれた多くの人が様々な分野で、それぞれの立場で、与えられた役割を果たしています。
自らの使命を見つけ、自らに課されたミッションを果たすことで、社会に貢献しているのです。すばらしいことです。
 
また、法律家として現地で活躍している教え子の近況を聞いて、とても誇りに思いました。
現地の法律家とともにベトナムで法の支配を実現するために悪戦苦闘していました。尊い仕事です。法整備支援という国際貢献は軍事力などのハードパワーと違って、相手国の求めている真の国際貢献になると改めて思いました。
人間の安全保障とともに、こうした日本らしい国際貢献の担い手がもっと増えなくてはならないと実感しました。
 
人間の安全保障といえば、東日本大震災から1年になります。2万人の失われた命だけでなく、いまだに避難所生活をしている方が600人、自宅に帰れずに不自由な生活をしている方も34万人もいます。福島原発に関しても廃炉、損害賠償、汚染除去、瓦礫処理、代替エネルギー等々、問題山積です。
 
この3.11において憲法が話題にされることはほとんどありませんでした。しかし、この震災ほど憲法の視点が必要な事態はないといっても過言ではありません。
一人ひとりを大切にする「個人の尊重」、そして一人ひとりの命と生活と尊厳を守る「人間の安全保障」の視点が不可欠だと考えるからです。犠牲になり、いまだ大きな不利益を被っている被災者の方々は全国民からみると圧倒的に少数派です。
多くの国民にとっては気の毒な他人の不幸の問題、すなわち他人事になりがちです。だからこそ少数派を守るための憲法が必要なのです。
原発の問題も、普天間基地問題と同じく、特定少数の人々が犠牲になり、その犠牲の上に多くの国民の、安全で快適な生活が保証されているという現実があるからこそ憲法問題なのです。

法律家は、少数の人の犠牲の上に立つ幸せは本物ではないという感性を持ち続けるべきだと私は思っています。
世の中の理不尽を少しでも減らし、日本そして世界に法の支配を実現するために、志の高い法律家はまだまだ必要です。
この春から新たに法律の勉強を開始された方は、ぜひ高い志を持って、法律家への道を歩んでほしいと思います。
 
どんな勉強にもつらい時期はあります。
そんなときに、人と比べるのではなく、自分に誇りを持って、自分らしく堂々と生きていけばいいと憲法はいってくれています。
私が司法試験の勉強をして得た一番の成果がこのことへの気づきでした。
この塾で学ぶことも人生を豊かにするための手段にすぎません。
自分なりのゴールをしっかりと意識して、皆さんの掛け替えのない人生がより豊かになることを心から願っています。
最後まで応援しています。