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2012年12月

2012年12月 3日 (月)

第208回 原理原則

12月16日には総選挙そして最高裁判事の国民審査があります。さらに東京では都知事選も行われます。後ろの2つは完全に1人1票なのですが、同じ選挙権でも総選挙は住んでいる場所によって1票の価値において差別されています。東京の私は0.4票しかありません。民主主義をいうのなら1人1票はどんな選挙でも原理原則でなければなりません。

政治に対しての影響力を持ちたくても持てない、0.4票どころか0票しか与えらない市民もいます。定住外国人の方々はこの国の行く末に対して大きな利害関係を持っている市民であるにも関わらず、つまり権力支配を受ける立場であるにも関わらず、選挙権がありません。これは民主主義とは相容れません。もともと国民主権と民主主義は異なった発展を遂げてきた別次元の概念です。民主主義はギリシャ・ローマの時代からその萌芽がありますが、国民主権は市民革命後の国民国家形成過程の中で生まれてきたものにすぎません。どちらが原理原則なのかを考えると、私は民主主義を原則とするべきだと考えます。それが私の価値基準なのです。

選挙権は市民の権利であると同時に責務でもあります。つまり代表者を選びこれを監視することは市民の責任なのです。リーダーには求められる資質もあれば、それを支持するフォロワーたる市民に必要な資質もあります。私はどちらにとっても大切な資質として原理原則を大切にすることがあると思っています。フォロワーとして的確な判断をするためにもこれは必要なことであると考えています。
原理原則があるからこそ、そこからのブレの必要性と許容性も判断できるというものです。

原則修正パターンはなにも答案を書くときに必要なだけではありません。人間として生きる上での原則は何か。何が自分にとって一番大切な価値基準なのか。自分の中に一本筋の通ったものがあるかどうかは、市民にとっても、もちろん、法律を使って仕事をする人間にとっても重要なことと考えています。

法律を学ぶことでこうした原則を大切にする考え方や意思決定方法を身につけることができます。法律を学ぶことは単に法律知識を丸暗記することではありません。こうしたものの考え方を学び、それを実践できるような力を身につけることなのです。これは旧司法試験も現在の司法試験も予備試験もそして司法書士や行政書士試験においても変わりありません。

ところが、ロースクール制度を擁護しようとする人の中には旧司法試験には暗記と受験テクニックだけで合格できたと未だに勘違いしている人がいて、予備試験がその復活になるのではないかと批判しています。情けないことです。

私は法律家になるためのルートは人それぞれであっていいと思っています。ロースクールで素晴らしい教授との出会いが人生を変えるかもしれませんし、予備試験ルートでいち早く実務に出て、多くの先輩たちの中で揉まれて成長してもいくかもしれません。司法書士として市民に身近な街の法律家としてすぐに活躍したい人もいるでしょう。自分の人生なのですから、自分で設計できるような自由が保障されるべきです。社会人の方なら、なおさら、仕事をしながら予備試験から法律家になったり、仕事を辞めてロースクールに行ったりすることの選択の自由が必要と感じるはずです。試験の現場を知らない一部の識者たちが何を言おうが、予備試験から法律家になるルートはこれから本流になっていくでしょう。自由、そして一人ひとり皆違うという人間の本質、すなわち個人の尊重という憲法の原則にかなっているからです。

伊藤塾はこれからも皆さんの個性にあった資格を一人ひとりの個性にあった最適の方法で取得できる場でありつづけます。