« 2013年2月 | メイン | 2013年4月 »

2013年3月

2013年3月 4日 (月)

第211回 キャリアと憲法

先月の東京新聞に「東大法学部の人気低下?」という記事が載っていました。
法学部に進学することが予定されている文科一類の志願者が昨年より3割も減少したそうです。
教養学部3年生の次のようなコメントが載っていました。
「官僚は仕事が大変なのに世間から批判を浴びてばかり。天下りできなければ給与も低い。
司法試験も大卒後、さらに法科大学院で3年間勉強しなくてはいけない。法学部の人気が下がっているのは確かです」

この時期だからこそ、官僚はやりがいのある仕事なのですし、中央のみならず、地方から日本を変えることができる人材をこの国は求めています。
予備試験ルートで大学在学中の司法試験合格は充分に可能で現実的な選択肢なのですが、まだまだ知られていません。
情報を持っていそうな東大生ですらこのような認識なのですから、ましてや高校生であれば、正しい情報を得られずに自分の進路を決定してしまうのはやむを得ないのかもしれません。
世間の評価がこうした状況なのですから、法曹や国家総合職をめざす皆さんには本当に今がチャンスだと再認識しました。

いつの時代にも、その時代の風や雰囲気というものがあります。
就職にしてもそうです。
金融、商社、家電、自動車、旅行などその都度、学生に人気の業種は変わります。
自分が将来、その道で頑張ろうと思うときに、将来のことではなく現在の評価で判断しているのです。
将来のことなどわかるわけはないのですから、現在を基準にするしかないことはわかります。
しかし、そもそも周りの評価で判断してしまっていいのでしょうか。社会の評価などあっという間に変わります。
そんなものに寄りかかるのではなく、自分の中の価値基準に従って生きる方法を身につけると迷わずにすみます。
憲法を学んだことによって、私は自分の内的価値基準を見つけることができました。
法を学ぶということは何事にも左右されない自分の考えをしっかりと持つことなのです。

朝日新聞に、「憲法の使い方」というタイトルの論説委員コラム(2月13日夕刊「窓」)が掲載されました。
タイトルに惹かれて読みましたががっかりでした。
若手弁護士が提訴した司法修習生貸与制違憲訴訟を批判するものでした。
「将来、自衛官として危険をかえりみず事に当たることを求められる防衛大学校生と、司法修習生とを同列に論じるセンスもいかがなものか。」と論難しています。
憲法はセンスで議論するものではありません。
皆さんもこの二者の共通点と相違点を分析してみてください。
またこのコラムは、「釈迦に説法だが、憲法という刀は扱いがむずかしい。振り回すと重みでよろけ、自分の足を斬りつけることになりかねない。」と締めくくっています。

日本では訴訟で憲法を持ち出すと負けを認めたようなものだと言われてきました。おかしな話です。
立憲主義諸国では通常の民事刑事事件でもごく当たり前に憲法を論じます。
日本はなぜか憲法を特別扱いします。
市民に身近になっていないからです。
強い者による理不尽を許さないとするときに、憲法は重要な役割を果たします。

憲法をもっと身近なものとするために、どんどん憲法を活用するべきだという論説ならば批判記事であっても納得するのですが、これではますます憲法を市民から縁遠いものにしてしまいます。
憲法を学んだ者には、もっと憲法を市民にとって身近なものとするために努力する責任があります。
この塾から1人でも多く、憲法を実践する法律家、行政官が生まれることを期待しています。