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2013年4月

2013年4月 2日 (火)

第212回 さくら

先月でイラク戦争から10年、東日本大震災・福島第一原発事故から2年がたちました。
様々な報道もなされましたが、充分な反省や検証がなされてきたとはとてもいえません。
日本はなぜ、「イラクに大量破壊兵器が隠されている」というような間違った情報に踊らされて、イラク戦争に「参戦」してしまったのか。
国防軍を持とうとするのであれば、文民統制の有効性に関わる極めて重要な問題のはずです。
しかし、残念ながら日本では何の検証もなされていません。震災復興も原発事故の原因究明も遅々として進みません。

人間は不完全な生き物ですから、ときどき過ちを犯します。
そしてその人間が作った国もシステムもときどき悪さをします。これは仕方がありません。
ですが、一度、失敗したら、その原因を突き止め、二度と同じ過ちを繰り返さないように対策を立てるのが人間の英知というものです。
日本人はそれが苦手のようです。

私は、政治家、官僚、法律家という日本の指導層が自分たちの役割を果たしていないことに大きな原因があると思っています。
エリートとしての自覚と気概の欠如です。
私が考えるエリートの条件は、自分の役割をしっかりと果たす、ビジョンがある、そしていざというときに人のために尽くすことができる―この3つです。
一定の立場の人間が自分の役割を理解し、それを確実に果たそうとすることは、社会が役割分担でできている以上、どうしても必要なことです。

ただ、淡々と自分の役割を果たすことは、本当にむずかしい。
東日本大震災の直後も、塾生が自分に何ができるだろうかと浮き足立ちそうになったときに、私は今まで通りの生活を送ること、自分の役割である勉強に専念して、被災者の力になれる法律家になることが何よりも大切だと訴えました。
大きなことを考える前に、まず自分がやるべきこと、自分が力をつけることを優先させるべきときもあるのです。

さくらも、今年は開花が早いとか人間にいろいろいわれます。
ですが、何があろうと、さくらは自分のペースで花をつけ、そして散っていきます。
まわりの評価などとはまったく無関係に淡々と花をつけ、次の世代に引き継いで散っていきます。
人間がさくらを見て、どう想おうとそんなことはさくらにとってはどうでもいいことです。
誰も見ていないときから、さくらにとって必要なことを1年かけて淡々とこなしてきただけです。

私たちが生きることも、これに似ています。
まわりの評価を期待して生きようとすると苦しくなります。
自分の本当の役割を見失うかもしれません。
しかし実は、今、ここに命があり、それが続いているだけですごいことです。
人の人生にはときに不運としか思えないことも起こります。
ですが、その出来事の意味は、将来の自分が決めればいいことです。他人に決めてもらう必要はないし、今の自分が決める必要もないのです。
成長した将来の自分が振り返って、あのときの出来事はこんな意味があったと評価すればいいことです。
何が起ころうとも焦ったり、不安に思ったりする必要はありません。

皆さんの人生には、試験勉強を始めようと決意して伊藤塾で勉強を始めたことも含めて、本当に自分にとって必要なことしか起こりません。
そしてすべてうまくいくことになっていると、心から信じることができる人は、自分の人生を自分のものとして生きることができます。
まずは自分自身を徹底的に鍛えることです。そうすれば、必ず活躍の機会が与えられ、役割を果たすことが求められるときがきます。
安心して今日やるべきことに集中してください。
さくらの花言葉のひとつは、「気高い精神」です。