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2013年8月 2日 (金)

第216回 自信の源

先月も書いたように(第215回『自信』)、代替不可能な自分の存在自体を信じることが自信の源です。
そしてそれはいくつもの困難を乗り越えてなんとかやってきたという経験の積み重ねから生まれます。
経験は自分だけのものであり、そこから何を感じ、身につけるかもその人だけの固有のものです。
だから一人一人違った個性のかけがえのない自分ができあがっていくのです。

自分の中の信念は、宗教的信念を持っている人にとっては容易なことかもしれませんが、そうではない人は自分で見つけ出さなければなりません。
自分にはやるべきことがある。自分を必要としている人がいる。自分には居場所がある。
これらを通じて自己肯定感を持つことが大切です。
たとえ、現在、これらの実感を持てなくても、将来においてこうした感覚を持つことができるような環境に自分の身を置き、自分をさらに高めていくのです。
自分の未来も大丈夫だという感覚を現在持つことによって、今を充実して生きることができます。

過去は私たちの記憶の中にあるだけであり、未来は自分の想像の世界にあるだけですから、現在をどういう意識で生きるかによって、過去や未来の意味を変えることができます。
現在を肯定できる能力は、もう勘弁してほしいという修羅場、ぎりぎりの経験をどれだけしてきたかによって生まれます。
あのときにくらべればまだまだマシとか、あれを乗り越えてきたのだから今回も大丈夫とか、自分の力によってここまで来たという実感です。

人生においてこうした修羅場はそう多くはありません。
試験勉強を本気でやって苦労してみることは苦しいですが、将来の自分の自信を作り上げる上でとても意味のあることなのです。
そして本気で取り組んで結果を出せなくても、結果が保証されないことに対して必死で頑張ることができたという経験自体が大きな自信につながります。
中途半端なことしかやってこなかった人に比べて格段の差となって、将来の自分を作り上げる糧となるのです。

試験の結果などは偶然にも左右されます。
ですが、その結果を受け入れなければなりません。
たとえ自分にまったく原因が思い当たらない偶然の結果であっても、そのような負の偶然が引き起こされる確率を最小限にする努力はできたはずです。
そうした努力、訓練を怠っていなかったかをしっかりと検証して、次に備えます。
そうやって偶然の結果にも対処できる力をつけておくのです。
自分を高めることで、積極的に運を引き寄せるというイメージです。

そして何よりも、修羅場を経験することによって、そうした偶然の結果、偶発的に生じた出来事に対しても自分を見失わないで対応できる能力を身につけることができます。
こちらは自分を鍛えることで、不運を乗り越える術を身につけるというイメージです。

他方で、大きな目的のために自分でできる限りの努力をしてみるとわかるのですが、ここまで来られたのは、自分の力だけではないなと実感できるはずです。
大きな目的に向かって必死で努力していると、不思議なことに、必要なときに必要な人に助けてもらえたという経験を少なからずするはずです。
親や恩師、友人のサポートや何気ない一言が大きく自分を奮い立たせてくれたのでここまで来られたという実感です。
つまり、自分は助けられているという実感です。
誰もが一人では生きていけない。
だから人のために自分も何かしなくてはという感覚を持つことができるようになります。
この塾で必死に学ぶことで得られる効果のひとつです。