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2013年9月

2013年9月 3日 (火)

第217回 歴史

8月はどうしても平和や歴史のことを考える機会が増えます。
原爆投下やポツダム宣言受諾など戦争に関連する忘れられない日が続くため当然ではあります。
14日に空襲を受けた人々やこの日に特攻機で出撃して帰らぬ人となった若者たちのことを思うと、歴史の一日ちがいの残酷さを感じます。


仮に1年早く戦争が終わっていたら、どれだけの加害と被害を避けることができたであろうかと考えると、戦争は始めるよりも終えることの方が数段難しいのだと実感します。
 
戦争中は国民も情報操作やメディアを鵜呑みにしてしまったり、勇ましい雰囲気に流されたりして、つい物事の本質を見失いがちです。映画でも「風立ちぬ」や「少年H」など、戦争との向き合い方を考えさせられる作品が公開されました。
いずれも主体的に生きることの重要性が伝わり、いつの時代でも自分の内なる価値基準を持って強く生きることは難しいけれど重要なのだと改めて感じました。

人は経験からさまざまなことを学びます。もちろん人によって経験から得るものは違います。
戦争から学ぶことも人によって違います。
シリアでの内戦に軍事介入しないことを決めたイギリスはイラク戦争から多くを学びました。
議会の承認を求めようとするオバマ大統領の慎重な態度もイラク戦争からの教訓を活かそうとしていると思われます。また、そうした態度を要求する市民運動の力も大きなものがあります。

日本はいつものとおり、諸外国、特にアメリカの様子をうかがっています。
本来、あのイラク戦争から学ぶべきことは、軍事介入や戦争によっては何も解決しないということであったはずです。
日本としてそうしたはっきりした主張を覚悟と信念をもって打ち出すべきと考えるのですが、主体的な意見はあまり聞こえてきません。
日本国憲法の価値を堂々と主張すればいいだけなのに残念です。

もっとも第二次世界大戦へ突き進んだ歴史から「戦争をしてはいけない」という教訓ではなく、「戦争は絶対に勝たなければいけない。負けない軍隊を持たねば」という教訓を得てしまう人もいる国ですから、仕方がないのかもしれません。 

自分に起こった事実から何を学ぶかも、その人の体験した事実によって違ってきます。
同じ戦争体験であっても、将校として作戦を指揮する側にいた人と、南方で飢えとマラリアで多くの仲間が死んでいく地獄を体験した人、焼夷弾の降りしきる空襲の中を逃げ回った人とでは、その捉え方が違っていて当然です。

ましてや経験者でない者が過去の歴史から何を学ぶかは、いわば他人事の評価の問題ですから、人によって違うことに不思議はありません。
だからこそ、どのような事実に着目してそれをどう評価するのか、その人の内なる価値基準が重要になってくるのです。

近隣諸国との緊張関係が高まってくると勇ましいことを言う人の声が大きくなってきます。
集団的自衛権を行使できるようにしなければならないという主張も、その人がどのような体験に基づいて発言し、どのような事実を想定して戦争を語っているのかを見極める必要があります。
想像力が欠如している人の無責任な声に振り回されるほど迷惑な話はありません。

法律を学ぶということは、そうした勇ましい声に惑わされずに判断できるように、自分の中にしっかりした価値基準を構築することでもあります。