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2013年10月

2013年10月 2日 (水)

第218回 主人と従者

「人民が情報を持たず、情報を入手する手段を持たないような人民の政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章にすぎない。知識を持つ者が無知な者を永久に支配する。」これはアメリカ合衆国憲法の起草者の一人であるジェームス・マディソンの言葉です。

今、日本では喜劇か悲劇かわかりませんが、その幕が上がろうとしています。いよいよ秘密保護法が国会に提出されるようです。防衛、外交、外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止、テロ活動の防止の4分野についての機密情報を行政機関が特定秘密と指定すると、公務員と市民による情報漏洩、情報取得が最高懲役10年の刑罰で規制されるというものです。果たして秘密に値する実質秘かどうかを第三者が検証することができず、国会による行政監視機能も大きく制限されてしまう法律です。簡単にいえば、官僚が国家の情報を恣意的にコントロールすることができてしまうということです。国防、外国、テロ対策という名目はいくらでも対象を広げることができますから、これにより国民は、たとえば原発に関する情報や在日米軍基地に関する情報をも得ることができなくなります。永久に支配される側に回ってしまうということです。

従来から一人一票裁判では、主権者たる国民の多数が国会議員の多数を選出できない仕組みになっている点を指摘してきました。たとえば、今年7月の参議院選挙の選挙区選出議員の過半数である74人は国民のたった34.7%によって選ばれています。このことは、日本は主権者の多数決によって物事が決められていない、国民が主権者として扱われていないことを意味しています。国会議員が自分たちの都合のいいようにこの国の権力を行使し、自分たちの都合のいいように国家を運営しているわけです。

昨年4月に発表された自民党憲法改正草案においては、憲法で国民に新たに10ほどの義務を課し、国民は国を成長させる役割を担わされます。そして憲法制定の目的も国の伝統と国家の継承にあると前文で明言しています。つまり、国家のための憲法なのです。政治家たちが自分の考えるよい国、強い国を作りたい、そのために国民に協力を義務づける道具に憲法が成り下がってしまっています。主権者国民は政治家たちに従順に従うことが求められています。

自民党はこれまで憲法で禁止されていると解釈されてきた集団的自衛権を憲法上は自由に行使できると解釈を変える方向で着々と準備を進めています。ある政治家は裁判所だって憲法解釈を変えるのだから、内閣だって変えていいはずだと言っていました。確かに時代の変化に対応して非嫡出子差別は違憲と判断されました。
しかし、これはこれまで合憲とされてきたものを違憲とすることで国家への歯止めをより強化しようとする変更であり、立憲主義からはなんの問題もありません。
しかるに、内閣がこれまで許されないと自ら言ってきた集団的自衛権を許されるとしてしまうことは、合憲の方向への変更であり、しかも、憲法によって縛られる側が自らへの縛りを緩やかにしようと変更するのですから、これでは国民が憲法によって権力の濫用に歯止めをかけようとする立憲主義が無視されたも同然です。

この国は政治家や官僚が主人で国民はそれに付き従うだけの存在なのか、それとも国民が主人で公務員たる政治家や官僚は主権者に従うべき公僕なのか、いま、まさに国民みずからがどうありたいのかが問われています。