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2014年1月 5日 (日)

第221回 謹賀新年

時間は絶え間なく流れていくにも関わらず、毎年、新年を迎えると新たな気持ちになります。
昨日と今日は連続しているのですが、それでも年が改まると何かを変えなければと思ったりします。人為的に作った区切りだからこそ、自分の意識によってこの新年を迎える意味づけを自分自身で決めることができる、この機会を活かしたいものです。

昨年、政治の世界では96条改憲、日本版NSC、秘密保護法など国民を巻き込む憲法論争がいくつか行われました。まだまだ十分とはいえませんが、それでも衆参両院の各選挙で勝利した自民党の数の力による暴走への批判の声もメディアから少しは聞こえるようになりました。市民の思いの受け皿となる野党の不在が何よりも、リベラルな政治を望む市民の閉塞感を増加させたようです。

ねじれ国会を批判しその解消を実現したのは市民でした。その結果がこれです。
こうした紆余曲折を経て、社会はより民主的でリベラルなものへと進化していくのだとつくづく思います。市民の力でこうした右寄りの政治を招いたのですから、逆に市民の力でこれを押し戻すこともできるはずです。

そのためには一人一人の市民が憲法センスを身につけることが不可欠と思っています。法的リテラシーといってもいいかもしれません。人権、民主主義、平和そして立憲主義という基本概念を単語として知るのではなく、その意味を知ることが社会の発展にとってはどうしても必要なのです。

市民は身近な問題を通じて法を意識することができます。
自分たちの社会がルールに基づいて動いていること、公正さが大切であること、手続きは適正でなければならないこと、強い者は監視されるべきこと、多数者・強者は少数者・弱者への配慮を忘れてはならないこと、そして一人一人皆、素晴らしい価値を持っていて、かつ皆違っていいということ。
こうした憲法的な価値基準を自分の中に持つことは、社会をより公正なものに変えていく助けになります。

身近に法律家がいて、その法律家のちょっとした言動から市民の皆さんがこうした考え方に触れることができれば、社会は大きく変わります。その意味でも法律家の責任は極めて重大です。法律家の存在自体が、市民に大きな影響を与えるのです。

そうした観点からみると、まだまだ法律家が足りません。弁護士はもちろん、市民に身近な法律家としての司法書士や行政書士、法律を理解している行政官など、この国を真の立憲民主国家にするために必要な職業の人材がまだまだ不足しています。憲法価値を実現する法律家が今ほど求められているときはありません。チャンスだと思います。

先日、ある県立高校の校長先生と話をしていたとき、法律問題は学校現場にも山ほどあるけれども、専門家に相談する機会がなく、非常に困っているとのことでした。県の顧問弁護士は2人しかいないため、なかなか順番がまわってこない。
やっと相談できた時点では事件がかなり拗れてしまっていて手遅れだったというのです。同様のことは、医療の現場、中小企業、NPO、農業などあらゆる現場で起こっています。
もっと市民に身近なところで誰もが法的サポートを受けられるようにしていくことは、市民個人が幸せを感じる手助けになると同時に、社会全体の幸せの総量を増やすことにもつながるのです。
皆さんに期待しています。

ヒトラーはその著書「我が闘争」の中で、「大衆の受容能力は限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。」と言っています。幸せに生きていく上で、忘れる力はとても大切なことなのですが、一方で忘れてはならないこともあります。

私は今年を忘れない1年にしたいと思います。
原発問題、普天間移設問題、そして理不尽な強行採決を忘れない、不正義があったことを忘れない。何よりも自分自身の初心を忘れないで1年過ごしていきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。