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2014年6月

2014年6月 4日 (水)

第226回 価値基準

経済的自由よりも精神的自由や人格的生存に不可欠な人権を優先する。国民の生命・健康に関する危険を防止するために加えられる消極目的規制については、社会・経済政策の一環としてとられる積極目的規制よりも、厳格に審査されなければならない。こうした考えは憲法を少しでも勉強したことのある人間なら当然の部類に属することです。憲法には価値の序列があり、個人の尊重に直結する人格権が経済的自由に優先することもまた、理解しやすいことです。

2014年5月22日福井地裁で、大飯原発運転差し止めが認められました。原発の稼働は法的には電気を生み出す手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだとしたうえで、事故によりこの根源的な権利がきわめて広範に奪われる事態を招く可能性がある原発の再稼働の可否は、その具体的危険性の有無によって判断されるべきとしました。

被告(関西電力)は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論をすることも法的には許されないとします。これもまた権利の性質に着目してその価値序列を判断したものです。

法律家として行政官として仕事をするときに、こうした価値序列を自分の中に持つことがいかに重要かを示しています。これまでの司法は、未知の問題に対して自らの頭で考えて自らの価値観で意思決定しその結果に対して責任をとる。そしてその結論を事実と論理と言葉で説得する、という法律家がやらなければならないことに真正面から向き合ってきませんでした。専門技術的性質が強く政策的判断が求められる問題には内容的に踏み込むのではなく、手続の適否だけを判断するべきだという理屈が司法の役割放棄の言い訳としてまかり通っていたようにも思います。

しかし、そもそも司法部門が政治部門とは別に存在する意義は、政治部門とは別の観点から判断することが必要だからです。政治部門の判断を追認するだけの司法であれば、その存在価値はありません。今回の判決は司法の役割を明確に示したものといえます。政策的判断は政治部門に任せるが、国民の生命・健康に関わるような問題は政策的な判断とは一線を画して判断されるべきものだからです。いくら電力が重要だからといって国民の命を犠牲にしてコストを重視する政策が許されるわけもありません。

それでも電力が重要だという人がいます。それは経済全体、国全体のことを考えてというのでしょう。一理あります。ですが、ここで問題になるのは具体的な人間の生存です。抽象的な国家や社会、ましてや企業の存在ではないのです。結局は具体的な人間を重視するか国家を重視するかという根本的な価値基準に行き着きます。
そしてその価値序列を定めているのが憲法なのです。もし国民がこの序列を国家優先、企業優先にしたいのであれば、国民の手で憲法13条の個人の尊重を廃棄すればよいだけです。あくまでも主権者国民の意思でそうした根本の価値基準は決められるべきだからです。

5月15日には安保法制懇の報告書が発表されました。座長代理の北岡伸一氏は月刊誌の「憲法に固執して国家の安全を忘れるな」という論文において,「いかにして憲法を守るかというところから出発すること自体が誤りである。」と言い切っています。
憲法の枠と価値基準の中で仕事をするのが国だという根本がわかっていないのです。
憲法よりも政策論、個人よりも国を重視する思想が一貫している報告書です。憲法無視の態度で、戦争という国民の生命というもっとも重要な人権に関わる問題を単なる政策論だけで押し切ってしまうことは立憲主義国家としては間違っています。

法律を学ぶということは自分の中にしっかりした価値基準を創り上げるということに他なりません。それは自分自身の生き方においても大きな意味を持つものだと考えています。