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2014年8月

2014年8月 4日 (月)

第228回 主体的に生きる

安倍首相は最高裁が違憲状態だと断言した選挙によって選ばれた国会議員から選出されているのですから、なんら民主的正統性がありません。
つまり首相としての法的な資格がありません。
医師の国家試験に合格していない人が医者をやっているのと同じです。無資格者です。医者ならば偽医者といわれる立場なのですから、偽首相です。バカ首相とか暴走首相というような呼び方は失礼にあたるかもしれませんが、首相であることを認めた上での呼称であり単に能力を批判しているだけです。
しかし、能力以前にそもそも、法的な資格がありません。正当な選挙による主権者の代表から選ばれたとはいえないただの人です。
偽首相が組閣した内閣での閣議決定はその内容以前に違憲であり無効です。
これが事の本質ですが、この本質を誰も真正面から見ようとしません。
まるで私たちには主権者としての自覚がないかのようです。

憲法は国民を主権者としました。
国民が主権者として行動するために憲法を作ったのです。
その行動の目的も憲法前文に明確に規定しています。憲法前文第1項には「日本国民は、…この憲法を確定する。」とあります。この憲法は日本国民が制定したものだと宣言しているわけです。では何のために憲法を作ったのか。
「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保」するため、つまり政治権力を憲法で縛って人権を保障するためです。これは英米仏独などの近代立憲主義国家に共通の目的です。

日本国憲法はもうひとつの目的を明示しました。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」するために憲法を作ったというのです。つまり政府に戦争させないために憲法を作ったのです。これは徹底した恒久平和主義を採る日本国憲法の大きな特長です。
そして、自由を確保し、政府に戦争をさせないために、「主権が国民に存する」としたのです。つまり政府に人権を保障させ、戦争をさせないという目的を達成するために、国民が主体となって行動すると宣言しているのです。

国民主権とは私たちが憲法を学び使いこなして、主体的に行動することを意味します。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とあるのですから、どこに住んでいても1人1票が保障されているような正当な選挙でなければ正しく行動できません。
最高裁によって違憲状態と断じられた選挙が正当な選挙であるはずがありません。
私たちは、無資格者に権力を行使させてはいけない。これを許すことは主権者としての地位を放棄することになるからです。

憲法はきわめて単純なメッセージを私たちに投げかけています。
そろそろあらゆることを人任せにするのではなく、自分で考えて自分で行動する覚悟を決めたらどうですかと。そしておかしいことにはおかしいと声をあげろと。
つまり、主体的に生きる覚悟を決めろということです。憲法12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあります。自由は誰かから与えられるものではなく、私たち自身が保持する努力を続けなければ、簡単に失われてしまうものなのだということです。

自分の生活に関係ある目先のこと以外を面倒だといって関心を持たないでいることは、単なる知的怠惰というだけでなく、為政者にとって都合のいい、利用しやすい臣民になることを意味しています。
一見目先の自分の目的とは無関係に見えることであっても、実は自分の生活や人生に大きな影響を与えるのが政治です。

受験生にとって合格とは無関係に見える事柄であっても、その先の人生にとってきわめて有意義なことがあります。
「有効な無駄」です。
合格はもちろん重要なことです。ですが、私たちが仕事をし、生きていく日本の社会がどうなっていくのかということに関心を持たなくては、社会に貢献する法律家、行政官になれるはずがありません。
主体的に生きるために行動することも人生の重要な一部であり、主権者の責任であることを忘れないでください。