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2014年10月

2014年10月 3日 (金)

第230回 一流

各種試験の合格発表が続きました。伊藤塾では新たな門出を祝って試験種ごとに趣向を凝らした合格祝賀会を行っています。来賓のお話を伺うのですが、一流の方のスピーチは心を打つものばかりです。私はこうして塾生の皆さんが一流の方々に接する場を設けることも本物の法律家、行政官を育成する伊藤塾の役割だと考えています。

さて何をもって一流というのでしょうか。ビッグネームの方もいらっしゃいますが、最高裁判事、法務大臣、日弁連会長、検事総長、国連大使というような肩書きではないような気がします。早くから起業や独立開業で成功している方もいますから年齢でもなさそうです。メディアに注目されてはいないけれど、復興支援など本当に求められる仕事を黙々とこなしている弁護士もいますから、社会の注目度でもない。一流の定義は難しいです。

それでも、私は一流の人に憧れています。イタリアの友人ですが、模型職人として一流です。ねじ一本、バネ一つも妥協せずに自分で作ります。彼が完成させた機関車は細密な芸術品といっても過言ではありません。ストイックな探究心、妥協を許さない厳しさなど、学ぶことが多いのです。

分野を問わず一流の人を見ていて思いました。一流であるためには、まず謙虚であること、そして周りの評価など気にせずに自分の中の信念に忠実であること。
つまり人の目ではない自分自身の価値基準を持っているということです。これが揺るぎない自信と実績につながっているように思います。そして「やせ我慢」ができることが重要と思うのです。目標を達成するためにはときに何かを諦めることも必要です。時間は限られていますから優先順位をつけて、あるものを切り捨てなければなりません。何食わぬ顔をして大切なものの一部を捨てる勇気が必要なのです。当然痛みもあるでしょう。その心の傷も含めてすべての経験が一流を作り上げるのだと思います。

私たちはつい周りの目を気にしてしまいます。試験に落ちたらどうしようなどと思ってしまいます。しかし、合格も不合格も一流になるための試練であり、意味のあることです。本物になって現場で活躍してやるという信念さえあれば、あらゆる事実を受け入れられるはずです。たとえ不合格になっても、これは一流になるための試練だと受け入れ、やせ我慢をして先に進む勇気が自分をさらに磨いてくれるのです。何が起ころうと周りの目を気にする必要などないし、自分の内なる価値基準を大切にして精進すればいいだけです。

2012年8月に第3次アーミテージ・ナイ レポートが発表されました。元国務副長官と元国務次官補による日米同盟に関する報告書です。そこには、日本は今後世界の中で一流国であり続けたいのか、あるいは二流国に甘んじるのかと日本に迫り、武器輸出禁止原則の緩和、集団的自衛権行使容認の必要性に言及しています。これを気にする政治家、官僚がいるようです。

1991年湾岸戦争のときも日本が130億ドルも負担しておきながら、クウェートから感謝されなかったことがトラウマのようになっていて、日本も人的貢献、軍事的貢献が必要なのだと考える人がいます。ですが、感謝されたいから「いい国」になろうとするのはどうなのでしょうか。周りからの評価を気にしている時点でもう一流ではないような気がします。

私たちが自分の中の価値基準に従って堂々と生き抜くことが一流の条件だとするのなら、国のレベルであっても同様ではないでしょうか。自国の価値を大切にすればいいのであって、何も外国の目を気にしてまねをする必要などまったくない。
これまで日本は世界最高の武器を作ることができたけれどあえてしてこなかった。
「人殺しの道具で金儲けなどしない」というやせ我慢ができていたのだと思います。集団的自衛権を行使しろと言われても、憲法9条を持つ平和国家のプライドがあるからできないと堂々と断ることができる国の方が、誇りと自信に満ちた一流の国だと思うのです。

近隣諸国を含めたどんな国に対しても謙虚で、周りの目など気にせず自国の憲法価値に忠実、そして、ときにやせ我慢のできる国。私なりの一流の国の定義です。
皆さんにはそんな国の一流の法律家、行政官になってほしいと心から願っています。