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2014年11月

2014年11月 3日 (月)

第231回 不条理

世の中は多くの不条理に満ちています。
閣議決定による憲法解釈の変更がなされ、国会承認もなしに日米防衛協力ガイドラインが策定されようとしています。
これにより地球規模の日米軍事同盟関係が強固に構築されていく。憲法による弱者の保護など絵空事のような社会保障政策。個人の尊重とはほど遠いヘイトクライム、ネットによる名誉毀損やいやがらせ。しっかりした避難計画すらない中での原発再稼働。火山の噴火による突然の命の断絶。愛する人との一方的な別れ。
そもそも私たち人間は、生まれ落ちた瞬間から死に向かって生き続けているという不条理が人生だと言ってしまえばそれまでですが、それにしても不条理が多い。

天災や個人に降りかかる不条理は受け入れるしかないとしても、人災ともいえる不条理に立ち向かうという気概は必要だと考えています。
人が生み出した不条理を許さない。
これを正義感という人もいるでしょう。義憤といえるかもしれません。

司法の世界にいると、不条理なことに多く遭遇するものですから、これをうまく受け流す術を身につけるようになります。
えん罪で苦しめられている人を目の当たりにする。薬害訴訟、公害訴訟、戦後賠償訴訟、基地問題訴訟など国を相手にする訴訟で負け続ける。行政訴訟、特に税務訴訟もかつてはまず勝てないと言われていました。こうした事件では制度の不備や担当裁判官の無理解などにどうしようもない不条理を感じることがあります。
これをうまく受け流すことができるようにならないと仕事そのものが苦しくて続けられなくなる恐れがあります。そこで防衛本能のように、不条理に対する感性を意識的に鈍磨させることがあるのです。

幸か不幸か、法律家は依頼人や当事者から見れば第三者であり、事件も本来は他人ごとです。当事者になってしまってはいけない。あくまでも冷静で客観的に仕事をこなすことが求められていることも確かです。
ですが、不条理に対する割り切りに慣れてしまって、不条理に対する憤りを忘れてしまってはいけないと思うのです。

1人1票裁判でも納得できない判決が続きます。本当に許せない不条理を感じるのですが、それはこの訴訟が依頼者の利益を守るための通常の訴訟とは違って、憲法自体がないがしろにされているという憤りが根底にあるからです。
憲法が要求する正当な選挙で選ばれていない「国会議員」(無資格者)が毎日毎日、この一瞬においても権力を行使しているという、憲法の下ではあってはならない不条理がまかり通ってしまっていることへの憤りです。

この不条理に対して、日本の裁判所には無理なことだと不条理に鈍感になってやり過ごす方が代理人としては賢いかもしれません。
しかし、この5年間諦めずに続けてきた結果、いわゆる1票の格差が一気に縮まり、「衆参の違いはない」、「都道府県は憲法上の要請ではない」と最高裁が判断するようになりました。
動かないと思っていた山が動いたのです。

今後、人口比例原則に則った最高裁判決を出させることは可能なのでしょうか。

民主主義が実現していく過程はそう簡単ではありません。長い時間がかかります。

しかし、人間が作った制度を人間が正そうとしているだけですから、私は可能だと考えています。火山の噴火予知のように自然が相手なのではありません。
人間相手である以上、不条理は正せるはずです。人間の手で作った不条理は人間の手で正すしかありません。

不条理に対する義憤、不条理を正したいという思いはときに強い力になります。

憲法に則って統治されることが当たり前の社会になり、すべての人々が尊厳を持って生きることができる社会はけっして不可能ではありません。

勉強していると時々、本当にこれでいいのだろうか、自分が合格することなどあるのだろうか、と不安になる時期が必ずあります。
試験に合格することなど、まだまだ自分の力で乗り越えられます。合格するはずの自分が不合格になったとしても、その不条理は自分で克服できるはずです。
何があろうと最後まで絶対に諦めないことが重要です。私も最後までやり通します。