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2015年3月

2015年3月 5日 (木)

第235回 難民

皆さんは難民という言葉から何を想像しますか。1951年に採択された難民条約に日本も1981年に加入しています。この条約の1条では難民を、「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会的集団に属することを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義しています。定義の中核である「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」の認定はとても難しいものですが、適正な認定基準の確立が必要です。

第2次世界大戦後、国際的な人権保障制度を整備していく中で、この難民条約と共に、難民保護のために国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)もスイスのジュネーブを拠点に活動を開始しました。UNHCRは、故郷を追われた人々に対して食糧や水、住居、医療支援などの物的支援を行う一方で、難民に関する国際的な諸規定の批准を促進し、国際法の遵守を監督する活動も行っています。日本はUNHCRに2014年は世界第4位(約1.8億ドル)の資金援助を行っています。世界で避難を余儀なくされている人は国境を越えていない国内避難民を含めると5000万人を越えているのですから、相当な資金が必要なことは言うまでもありません。日本の人道援助はかなりの規模のものといえるでしょう。

ところが日本が難民をどれだけ受け入れているかというと、2013年においてなんと申請3260件のうち6人だけです。この数字は何を意味しているのでしょうか。難民の多くは、シリア、南スーダン、ソマリア、アフガニスタン、そしてパレスチナなどで生まれていますが、日本において難民申請の多い国はネパール、トルコ、スリランカ、ミャンマー、ベトナムなどです。しかも最近は難民の要件に当たらないことがわかっていながら日本で働きたいから難民申請をする濫用事例が急激に増えているという報道もあります。極端に低い難民認定率にも理由があるという見方もできます。

ですが、それにしても難民保護のために世界有数の資金援助をしている国が実際にはほとんど難民を受け入れていないという事実はやはり異常です。金を出すだけで人を出さないのかと言われて戦地に日本人を差しだそうとする前に、金を出すだけで人を入れないのかと言われないようにまずこの問題を改善する必要があるようです。

先日、東京大学で行われた難民移民講座終了記念セミナーにコメンテーターとして出席してきました。この講座は5年前から法学館/伊藤塾が資金援助をしています。法務省入国管理局、内閣官房、外務省国際協力局の担当者からの発表と、法務省人権擁護局長、本講座特任准教授のコメントもありました。そこで驚いたことの一つに、日本には難民移民問題を包括的に推進する司令塔となる部署がないということでした。

残念ながら日本国内にはヘイトスピーチのような排外主義的な考え方も生まれてしまっています。法務省人権擁護局が作った「ヘイトスピーチ、許さない。」というポスターなどに対して、国が特定の価値観を押しつけるなという批判が寄せられるそうです。法務官僚も憲法尊重擁護義務がありますから、憲法が要請する人権擁護を実践しているだけであるにもかかわらず、このようなピント外れの批判が起こるのです。そんな日本で難民の受け入れを進めることは国民が望まない限り進展しません。

憲法は、13条で個人の尊重を掲げ、多様性を認め合って様々な人種、国籍、宗教の人々が共生していける社会を目指しています。そしてこれは「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利」を有することを認めた、前文の「人間の安全保障」につながります。世界で活躍する日本人の安全や日本企業の活動のためにも軍事力でない国際貢献が必要なのです。こうした国際貢献を進めることが日本への信頼を増し、何よりも現実的な安全保障となります。

難民移民の問題は国内的には少子高齢化社会における成長戦略に関わります。対外的には安全保障の要でもあります。憲法は一人ひとりが個性を持って自分の幸せを実現できる社会、多様性を認め合って共生できる社会をめざします。どのような国をめざすべきなのか、私たちは憲法を学んだ者として自ら考え発信していかなければなりません。