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2015年4月

2015年4月 2日 (木)

第236回 桜

この時期の雑感でよく桜を話題にします。渋谷の伊藤塾の前の桜並木は本当に見事です。ベトナム人学生の支援のためにやっているベトナム料理屋(ハノイのホイさん)でも桜をモチーフにしたフォーを提供して好評を頂いています。ただ、今年は例年に比べて桜の密集度が低く、通りを覆うような桜のトンネルの印象がありません。枝をかなり剪定してしまったからです。空が見える隙間がないほどに桜が天を覆う様子は圧巻だったのですが、今年はけっこうスカスカに空が見えてしまいます。

例年の桜を知っている人の中には、ちょっと残念な気持ちの人もいるかもしれません。しかし、枝が前のままだと光合成がうまくいかず次第に枯れていってしまいます。桜も寿命がありますから、いつまでも咲き続けるわけにはいかないのですが、それでも枝を剪定して適切な空間を空けてあげることで、生き延びることができるのです。つまり生きるために切るのです。

何かを成し遂げようとするときに、欲張ってあれもこれもやろうとすると、結局何も身につかずに終わってしまうことがあります。勉強でも同様です。試験直前期になってまだやり残しているところがたくさんあるからといって、すべてをやり尽くそうと思ってもできるものではありません。結局どれも中途半端になってしまう危険があります。本当に重要なものだけに絞ってそれをしっかりとこなす。
あとはあえてやらない。勉強では余計なものに手を出さない勇気が特に必要です。

手広く事業を展開していた企業でも業績が悪化したときに、重要なものに絞り込んでそこに資源を集中させるために、不採算部門を切り捨てることがあります。
企業を存続させるためにあえてある部門を切り捨てるわけです。選択と集中はどの分野の仕事でも重要なことです。弁護士として企業再生の仕事をすることになる皆さんも多いかと思いますが、業績が悪化した企業の再生は痛みを伴い、ある意味では憎まれ役でもありますから決して楽な仕事ではありません。ただ、本当の企業再生は、赤字体質から脱却した後に、いかに収益を上げ続ける企業に変貌させるかの方がはるかに難しく重要なのです。

生き残るために切り捨てた後に、さらなる発展のために何をするかがポイントだということです。これは勉強でもいえることです。重要な基本に集中することによって、そこで本質的なことを深く理解し正確に記憶することが可能となり、自分の中に盤石な基礎ができあがります。その後、その基礎からどう自分の頭を使って考えるか、未知の問題に対していかに自分の力で答えを創り出していくかが重要なのです。余計なものに手を出さずにしっかりとした基礎固めに徹したあとは、答えを思い出したり、見つけようとしたりするのではなく、あくまでも自分の頭で基礎から考えて、答えを創り出す気概を持っておくことが重要だということです。

桜も枝を剪定してもらい、空が見えるようになったあとが重要です。自分の力で大きく成長する生命力がある木が生き残ります。そして来年、今年以上にすばらしい花を咲かせてくれることでしょう。枝があちこちで切り取られた桜を見て最初は少し寂しく思えました。ですが、大きく育つためには、一歩先を考えて若干の痛みを我慢する。そして、それを乗り越えたところで大いに頑張って成果を挙げる。今年の桜がそんな象徴のように思えてきました。

高く飛ぶためには一度、縮んで力を蓄えなければなりません。これはどの世界にも必要なことです。桜の花言葉に、「すばらしい教育」と「気高い精神」があるのですが、再度、この意味を考えることができました。何事にも新たな発見があるものです。