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2015年9月

2015年9月 1日 (火)

第241回 マグナカルタ

ロンドンの大英図書館ではマグナカルタの特別展示をしています。最初にジョン王に対して突きつけた1215年から800年というわけです。現在でもこのマグナカルタの中のいくつかの条文はイギリス憲法として使われています。800年前の法典が生きているとは本当に驚きですが、それだけ普遍的な価値だということなのでしょう。

そもそも立憲主義、法の支配という考え方は、人間は不完全な生き物であり、間違いを犯すことがある。神と違って全能ではないのだから、その権力の濫用などの過ちを犯さないように権力を持つものを法で縛る必要があるということから生まれた考えです。ですから、人間が過ちを犯す不完全な生き物である以上は、時代を超え人種を越えて必要な考え方といえます。安倍首相が国会答弁で応えたような中世王権時代に特有のものではありません。

安保法制を巡って、これを戦争法と呼ぶことに対して安倍首相はじめこれを推進しようとする人たちにはずいぶんと抵抗感があるようです。国連憲章で戦争は違法とされているのだから、そんな違法な戦争をするための法律であるかのレッテル貼りは困るということのようです。

そもそも国連憲章で違法化されたのは一切の武力行使ですが、宣戦布告をして行う正規の戦争だけでなく、満州事変のような事実上の戦争も含めてすべての武力行使は原則違法とした点に意味があります。一切の武力行使を実質的な戦争としてこれを原則違法としたのです。ただし、国連憲章51条の自衛権行使と第7章の国連安保理による集団安全保障体制の下で行われる武力行使だけは例外的に容認しました。ですから、これらの武力行使は合法的な戦争であり、戦争という言葉は何も違法なものばかりを指す言葉ではありません。9.11以降の米国の「テロとの戦い」(War on Terror)も戦争であり、有志連合によるテロリスト相手の戦争とされたのです。

どこの国もこれは合法的で正しい戦争だ、正義の戦いだと主張します。違法な戦争だと認めて戦争する国などありません。海外での武力の行使は戦争なのです。
今回の安保法制も海外での武力行使を真正面から認めるものですから、その本質は戦争法に他なりません。いかに安倍首相及びその取り巻きが戦争法と呼ばれたくなくとも、その実質は戦争法に他ならないのですから、このレッテルを外すことはできません。

政府がいくらごまかそうとしても、国民はこうした戦争法としての安保法制の本質を見抜いてしまっているので、反対の声を上げているのです。党派性もなく、学生もお母さんたちも中年のおじさんたちも誰もかもが戦争のにおいのするこの法律はいやだと思っているのです。8月30日には国会前だけでも13万人、全国各地で数千人規模の反対集会とデモが行われました。

いまだに戦争反対の主張を平和ボケと批判する人を見かけます。日本が海外で武力行使しなければ日本の平和を維持できないと思い込んでいるようです。日本を守るためには個別的自衛権で十分なのですから、自衛隊の能力や安保条約による米国の助けを信頼できないということなのでしょう。しかし、そのことと自衛隊が地球の裏側まで行って武力行使できるようになることや、戦闘地域で多国籍軍に弾薬補給できることがどうしてつながるのか、まったく論証されていません。

よく言われるように論理の世界ではとっくに決着がついてしまっています。だからこそ人々はそれぞれの感情や感覚、感性から戦争反対を訴え主張し続けているのです。こうした主体的行動を通じて少しずつ時間をかけながら私たちは自立した市民になっていきます。800年を追いつくのは容易ではありませんが、今このときに傍観者になるわけにはいかないのです。