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2015年11月

2015年11月 3日 (火)

第243回 多数決と少数意見

11月1日の東京新聞に私の憲法絵本「あなたこそたからもの」の掃除当番を多数決で決めるエピソードが紹介されました。人権は多数決によっても奪えない価値であり、それを憲法に書いておくという説明まで紹介してもらいました。これまでも人権や立憲主義の重要性を教えるときにこのように多数決の危険性を指摘してきました。
ナチスのような、人類の多数決による悲劇の歴史を知っているためか、法律家や知識人の中には多数決という方法に一種のアレルギーを持ってしまう人もいるようです。ですが、残念ながら多数決の意義と少数意見の尊重の関係を十分に理解していない人もまたいるようです。
10月28日に一人一票裁判の最高裁大法廷弁論がありました。昨年12月14日の衆議院議員選挙の無効を求めて全国295のすべての選挙区で訴訟提起したものです。塾生の方にもずいぶんと協力していただきました。この弁論の際に国側の代理人(裁判官出身)が地方の少数者の声を反映させるために人口以外の要素も考慮する裁量が国会にあるという以下のような主張をしたのです。
「我が国の国民には、都市部居住者もいれば、山間部などのいわゆる過疎地域に居住する者もいる。そのような場合に、過疎地域に住む少数者の意見を国政に反映する必要はないということにはならないのであって、そのような少数者の声も国政に十分に届くような選挙区割りや議員定数の配分を定めることもまた、国会において十分に考慮されるべき事項というべきである。」

憲法を勉強した皆さんならこの主張の間違いに気づくと思いますが、憲法になじみのない方の中にはもっともだと思われる方もいるのではないでしょうか。今更いうまでもないことなのですが、国会議員は選挙区や地域の代表ではありません。どこから選出されようと全国民の代表です(憲法43条1項)。ですから、過疎地域の少数者の声を代弁するのはすべての国会議員の責務なのであって、決してその地方選出議員だけの仕事ではありません。まずここからして間違っています。また、世の中には様々な少数者がいるのであって、地域的な少数者の声だけをことさらに反映させる理由がありません。性的マイノリティーや経済的困窮者、障がい者や米軍基地を押しつけられる沖縄県民などの声を差し置いて、過疎地域の人たちの声だけを国会に反映させなければならない理由などどこにもありません。こうした少数者の意見はあらゆる場面で反映するように尊重しなければならないのです。選挙制度の設計にあたって予め特定の少数者の声だけを反映させるようにすることなどできません。
少数者の尊重という誰もが反対できない一般論を持ち出して、人口比例選挙を否定しようとするのは、理性というよりも感情に訴えかけようとするものであり全く論理的ではありません。国側が今更のようにこうした議論を持ち出してきたことに驚きました。

政治の世界では少数意見を無視する多数の横暴が横行していているように見えます。原発再稼働も安保法も国会における議席の多数にモノを言わせて強行に進めてきたものです。ですが、これらは少なくとも世論調査によると国民の多数意思ではありません。主権者の多数によって権力行使の正統性を担保するという民主主義の基本が機能していない、ゆがんだ選挙制度の結果、そもそも国民の多数意思が正しく国政に反映していないのです。

つまり、この国は少数意見を尊重するという以前に、そもそも多数決という基本ができていません。多数決でモノを決めるという基本枠組みができた上で、審議の過程で十分に少数意見を尊重し、少数者の人権を侵害してはならないという歯止めが意味を持つのです。主権者の多数による正統性付与という民主主義の基本的枠組みは、立憲主義、法の支配を実現していくための大前提です。

原告の方々は、この一人一票訴訟によって自分の生活に関わる具体的な利益を求めているのではありません。自分の利益は脇に置いて、立憲主義・民主主義という公共の利益のために身を捧げているのです。最高裁判事を含めてすべての法律家はこうした原告の切実な思いに応えなければなりません。