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2015年12月

2015年12月 1日 (火)

第244回 テロと戦争

テロは憎むべき凶悪な犯罪です。どこで起ころうが、いつの時代であろうが、これは犯罪ですから、司法手続きで裁くべきものです。ところが、2001年同時多発テロの後、米国はWar on Terrorという言葉を作り、テロを武力行使すなわち戦争の対象としてしまいました。テロとの闘いは犯罪として対処するものではなく、戦争になってしまったのです。

フランスも加わる有志連合はシリア・イラクで数千回の空爆を行っている戦争中の国々です。アメリカもフランスも現在戦争中の国です。戦争というのは、たとえテロとの闘いであっても、双方の市民に多数の犠牲者が出ることを避けられません。シリアでは現在でも多数の市民に犠牲が出ています。そして双方が加害者になります。これが戦争の現実です。ですが、国民は多くの場合、空爆、自爆攻撃などによる具体的な被害に遭わなければ自分たちが戦争しているという実感を持てないものです。

日本でも1931年の満州事変から15年戦争を始めましたが、多くの国民が戦争を実感したのは、1944年から本格的に始まった日本全土への無差別戦略爆撃からだといいます。焼夷弾が降ってきて大切な人が目の前で死傷していく姿を目の当たりにして初めて戦争を実感したというのです。徴兵制や国家総動員体制の下にありながらも、市民にとって戦争というのはそれほどまでに遠い世界に感じられてしまうものなのかもしれません。

だからこそ私たちは想像力を発揮して、戦争や武力行使、テロについて具体的に考えないといけないのです。戦争など起こるはずがないと一般市民が思っているときに、思いもよらない悲劇が起こり、人は怒りと恐怖に支配されてしまいます。
私も含めておよそ人間は不完全な生き物であり、完璧な人などいない、だから憲法によって予めやってはいけないことを自己拘束として定めておくという立憲主義の考え方は、いつの時代、どこの国においても有益なはずです。

それにしても、思ってもいなかったことが自然災害だけでなく、人の手によっても起こるということを私たちはここ数年で実感しました。まさか集団的自衛権行使を容認するような政府、国会が登場するとは思ってもいませんでした。憲法改正が具体的な日程に乗ってくることも、あれだけの原発事故を経験しながら何事もなかったように再稼働を進める人々の力がこれほど強いことも、そして平和憲法を持つ日本や日本人がテロの標的になるとはまったく考えたこともありませんでした。どれもこれも外的な要因ではなく、私たちがこれらを許してしまっているのです。

今回成立した戦争法により日本もISとの闘い、つまり戦争に後方支援というかたちで参加できるようになってしまいました。これまでは他国の武力行使と一体化してしまうので認められなかった戦闘地域での弾薬の補給、そして武器の輸送などの兵站活動が法律上可能となります。

たとえ法律が成立したとしても違憲は違憲です。しかし、これを選挙などの民主政の過程を通じて是正しようとしても、1人1票が実現していない違憲選挙の下では主権者の多数が国会議員の多数にならないため容易ではありません。そこで司法による明確な違憲判断によって立憲主義を回復することがなんとしても必要と考えます。具体的な被害が市民に生じる前にこれを止めないと、感情に支配されやすい私たちは何かが起こってからでは冷静に判断できない危険があります。様々な課題があることは十分承知していますが、法律家としてこのような憲法が無視されるような事態を放置することはできません。そのような思いから全国の弁護士とともに、安保法制違憲訴訟を提起することにしました。

日本をテロの標的になるような戦争する国に変えることは、主権者国民の意思でなければできないはずです。違憲の選挙で多数の議席を得ただけの自公政権に日本の国柄を変えてしまうような権力行使の正統性はありません。戦争やテロの恐怖が現実のものとなる前にやれることはすべてやっておかないと後で私は必ず後悔します。戦争やテロなど被害妄想を語る愚かな法律家がいたと笑い話になるような未来を築くために今を生きようと思います。