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2016年4月 1日 (金)

第248回 安保法制違憲訴訟

安保法制が3月29日に施行されました。この安保法制には実に多くの市民が全国各地から反対の声をあげ、圧倒的多数の憲法学者をはじめとして元最高裁長官や元内閣法制局長官までもが憲法違反と批判しました。またこれを審議した国会運営が民主主義の実体を欠くものであったことは、国会中継で目の当たりにしたとおりです。

この安保法制に対して違憲訴訟を4月下旬には提訴しようと準備しています。全国各地での原告希望者は1000人を超え、元裁判官、元検察官も含めて600人を超える弁護士が代理人となります。この後も準備ができ次第、全国で順次提訴が続いていくことになるでしょう。

私はこの安保法制は明白に違憲であると考えています。ですが現在の政府がこれを合憲と判断して法案を提出し、国会が合憲と判断して形式的にも成立させたからには、日本における公権的解釈としては、安保法制は合憲という判断しかなされていません。そこで、たとえ下級審であっても何らかの実質的な違憲判断が出ることによって、すべての公権力が合憲と判断しているのではないことが明らかになります。ここに大きな意味があると考えています。

中にはここぞとばかりに合憲判断をする裁判官もいるかもしれません。ですが、それは国民がその判決を批判すればよいだけのことです。そうした判決を政治利用されるリスクについては、公権的な合憲判断のみが存する状態を放置してこれが既成事実化され、国民の関心が薄れていってしまうことの方がよほど大きなリスクと考えます。

私は、安保法制が違憲であり、違憲の法律の存在を認めることなどできないという怒りとともに、憲法を無視する態度、法をなんとも思わない態度を許すことができません。この国は法の支配の国であり、立憲民主主義国家であったはずです。単なる数の力で何でも自分の思うとおりに押し通そうとする政治がなんの歯止めもなくこのまま放置されることは、企業も家庭も社会もあらゆる場面で法を無視することがまかり通ることにつながります。これはあってはならないことです。

法律家は力ではなく、理性と知性を体現する法によって個人の尊厳を守り、社会秩序を維持することをその使命としているはずです。自らが違憲と判断する安保法制をそのまま放置することは、自らの職業の基盤、そしてそれは自分がこれまで歩んできた法律家としての人生をも揺るがすことにつながります。
今、一番あってはならないことは、やっても無駄だという無力感から行動しなくなること、物を言わなくなることです。これまでのすべての憲法訴訟も初めはみな前例のない無謀な闘いとみられました。私たちが判例集で見る憲法判例は勇気を持って立ち上がった先輩法律家の汗と努力の結晶に他なりません。

そもそも課題やリスクのない憲法訴訟などありません。ましてや初めから結果が保証されている事件などありえません。結果がわからないからこそ、私たちは全力でそれにぶつかり、突破口を開いていかなければならないのです。具体的事件性がなければ裁判所は判断しないと思われていますが、それはこれまでの裁判所による解釈にすぎません。司法の枠組み自体に対しても問題提起をしていかねばならないと思っています。既存の枠組みを見直し、憲法価値を実現するために新たな違憲訴訟の枠組みを創り上げていくことも重要な訴訟の意義であるはずだからです。

安保法制はまさに、日本を戦争する国に変えるものです。そのように国柄を変えることは本来、それによって加害者にも被害者にもなる主権者国民の意思でなければできないはずです。最高裁が違憲状態と宣言した正当性のない選挙で過半数の議席を得ただけの政権が、憲法を無視して日本の国柄を変えるような権力行使をすることは、まさに国民の制憲権の侵害に他なりません。憲法が蹂躙されるこうした事態を座視すれば、必ずや市民の生命、自由、財産の蹂躙を招くに違いありません。立憲主義と民主主義の回復のため、それぞれが各自の立場で声を上げることが求められているのです。

これから勉強を始める皆さんも、自分には続けられるだろうかと不安な人も多いことでしょう。これから本試験を迎える塾生の皆さん誰もが様々な不安を抱えていることと思います。ですが、法律家の仕事そのものがこのように結果が保証されないことに向かって全力で立ち向かうものなのです。ぜひ、不安に負けずに頑張ってください。今ここでの頑張りが必ず将来の糧になります。期待しています。

関連リンク>伊藤真塾長が共同代表を務める、「安保法制違憲訴訟の会」から、違憲訴訟の原告募集と、4・20 安保法制違憲訴訟 決起集会のお知らせ <4月20日(水) 18:00より、安保法制違憲訴訟 決起集会を、参議院議員会館にて開催>