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2017年11月 1日 (水)

第267回 多様性

先月は、雨のせいで天然パーマの髪がクルクルになってしまいました。これが私の自然の姿です。誰にでも、その人のありのままの姿があります。内面はもちろん、外形も含めて多様性があるのが個人です。無限の要素から成り立つ個性を尊重し、それを伸ばすことが、教育の本質だと思っているのですが、先日、信じられない報道に接しました。

大阪府立高校の女性生徒が生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう強制されたことで提訴したというものです。生徒の母親は入学時、髪が生まれつき茶色いことを学校側に説明し黒染めを強要しないよう求めたのですが、教師は、染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導したそうです。なんと「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」とも述べたそうです。生徒は黒染めに応じていたのですが、2年のときには黒染めが不十分だとして授業への出席を禁じられ、修学旅行への参加も認められず、現在も不登校が続いているなど、大きな損害も被っているようです。

別の女子生徒は、中学1年生のころ、保護者やクラスメイトの前で、担任の先生から教室の前に呼び出され、髪色の注意を受けたそうです。母親が娘はクォーターで生まれつきの髪色だと説明したにも関わらず、担任は『どこの血が入っていようが、なに人であろうが関係ない。これは市の決まり。普通は黒髪で生まれてくる。髪を染めてもらわなければ学校に来ては困る』と言われたそうです。「普通は黒髪で生まれてくる」、なんと恐ろしいことを平気で言ってしまう教師でしょうか。

報道によると高校生の頭髪をめぐっては、色を染めたりパーマをかけたりしていないか見分けるための「地毛証明書」を、東京都立高校の多くが一部の生徒に提出させていることが明らかになっています。論文試験にそのまま出題されそうな事案で驚きです。

規則が何のためにあるのか、平等が何を意味するのかを全く理解していない教師がどれだけ現場にいるのでしょうか。こうした教育の現場を放置したまま、先生方が「憲法守れ」だの、「人権擁護」などと声を上げても生徒達はきっとしらけるだけでしょう。この漫画的状況を理解できない教育現場に未来はありません。そういえば、ドイツから帰国した後に中学で肩掛け鞄のかけ方を指導・強制されたことを思いだしました。

社会は多様性に満ちています。だからこそ社会は発展するし、そうした多様性を認め合える中でそれぞれの個人が自分らしさを発揮して各自の幸福を追求していく過程を憲法は人権として保障します。あるグループに属し同質的であることを強制し、それから外れたものを排除する。そんな青年期を送った子供たちが自分と異なる他者と共存する知恵を鍛えられるとは到底思えません。先の総選挙では小池代表の「排除」発言が話題になりましたが、異質なものを排除する教育をしてきている国なのですから、驚くに値しません。

こうした戦後教育の成果が、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査にも現れています。2013年の調査では、税金を納めることを憲法上の「権利」と認識している人が47%もいるのです。権利と義務の区別もつかない国民が半数とは驚きですが、目上の人に従うことを憲法によって権利とされていると思う人も8%もいるのです。自らの権利を自覚することも教えられず、何も考えずに教師に従順に従う、国に従う、そうした素直で物わかりのいい国民を作り上げることに成功したと言って間違いないでしょう。思っていることを世間に発表することを権利だと認識できている人は、36%しかいません。

憲法改正について「ナチスの手口に学んだらどうかね」と言っていた麻生太郎副総理が、今回の総選挙での自民党大勝は「北朝鮮のおかげ」と発言したそうです。本当に正直な方なのだと思います。日本の危機が高まったわけでは全くないにも拘わらず、Jアラートで不安を煽り、国難選挙と言ってのけ、大義なき解散・総選挙を強行した人々は、大義なき憲法改正発議・国民投票を強行することも辞さないかもしれません。

権利と義務の区別すらおぼつかない国民が半数で、個人を尊重する憲法の根本的な価値すら教育できていない国で初めて行われる憲法改正です。そこで自衛隊が憲法に明記されそうだというのですから、本当に恐ろしいことです。こうして多くの人が権力の思うままに操られ犠牲になっていく歴史を人類は繰り返してきました。自衛隊を明記するだけで何も変わりませんという言葉に安心し、災害救助で頑張っている自衛官が可哀想という感情に訴えられて、改憲に賛成する人もいることでしょう。自衛隊明記の意味を理解してその上でよしとするのなら、それは仕方がありません。ですが、国民は十分に理解するだけの時間を与えられるか疑問です。

憲法改正国民投票は発議から60日後であれば実施できます。複数の項目が同時に発議されて国民投票にかけられたら、とても十分に国民が内容を理解して投票したとは言えない結果が待っています。しかも、CM規制はないに等しく、運動広告費の制限も最低投票率の定めもありません。このままでは、異論が封じ込まれ、手続的にも極めて問題の多い中での国民投票となります。

改憲論議も多様な意見があって当然です。その多様な意見を踏まえて国民が議論に参加したり、自らの考えを深めたりすることができるような制度と手続を保障することは、民主主義の実現にとって不可欠のはずです。多様性の尊重は個人の幸せの実現とともに、社会全体の幸せのためにも必要なことと思います。

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