真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

2018年1月 1日 (月)

第269回 謹賀新年

昨年11月21日全国5000人の市民が不当な賠償金4556万円を完済しました。東京、国立駅前から続く大学通りの景観をめぐり、国立市がマンション業者に支払った3124万円を国立市から求償された上原公子元国立市長が訴訟で敗訴し、利息を含めて4556万円を個人として国立市に負担することになりました。景観保護のためにマンション建設規制を求めて上原氏を支持したのは市民であり、その政策を実現したことによって、市長が個人責任を負担するなどという不当な裁判に納得できない全国の市民がカンパを寄せて、第三者弁済により全額支払ったのです。

複数の訴訟の経緯は建築差し止めなどを含み複雑ですが、市民からの支持を得て市長になり景観保護という政策を実現したがゆえに、市長が個人として責任を負うというのは、あまりにも理不尽です。国立市がマンション業者に支払った金額全額相当分がこの業者から国立市に寄付されているため、市に実損害はありません。それにも拘わらず、住民訴訟の形で市から市長に求償する訴訟が提起されたのです。1審は国立市の請求を棄却しましたが、控訴審で上原氏は敗訴、上告するも最高裁で実質的な審理もなされずに確定しました。

元金3124万円及び利息1432万円は、市民感覚からは支払う必要のないものでした。しかし、訴訟で負けた以上は支払わざるを得ません。それをなんと国立市民のみならず全国の市民からカンパを集めて支援団体が支払ったのです。裁判で負けて、市民はここで大きなものを勝ち取りました。市民自治です。

市民感覚から納得できない、間違った判決に対して、市民が声を上げ、司法の歪みを正すために行動したのです。景観のために企業の財産権を制限することが正しいか否かについては議論があるところでしょう。しかし、自分たちの街の景観を保護したいという市民の多数の支持を得て市長になった後、そうした市民の意思を政策によって実現しようとした首長が、従来の政策を変更したことを後に司法から違法と判断されて、個人として多額の賠償を負担させられるという事態は、市民感覚からは異常です。これがまかり通るようでは市民自治を否定することにつながります。市民によって支持された政策を実現することを躊躇し委縮してしまう首長が出てきても不思議ではありません。

上原元市長に対する最高裁判決の後、政府高官は「辺野古の新基地建設を許さない」として県民とともに闘っている沖縄の翁長知事に対する億単位の損害賠償請求に言及しています。市民の声とそれに基づいて行動しようとする首長を中央が権力によって押さえつけようとすることは、地方自治、市民自治に対する侵害です。辺野古や高江で闘いの先頭に立ってきた山城博治氏を、家族にも会わせないまま5か月も勾留するものどうかと思います。どう考えても勾留要件を満たしているとは思えません。このように権力に対して闘う個人を攻撃し、運動を諦めさせるために手段を選ばないというやり口は、文明国家としてどうかと思いますが、これが権力の本質です。

こうした国のやり方に市民は負けませんでした。闘う個人を孤立させない、個人を犠牲にしてはならないという市民運動の連帯が大きな力になり、闘う個人を守り救いました。そこには私利私欲を離れた大義があるから、市民は連帯したのです。市民運動というと敬遠する人がいます。何か自分とは違う世界で、暇人もしくは物好きが自己満足のために好き勝手なことをやっているとみる人もいます。

ですが、私利私欲でそんなに多くの市民が支援するはずがありません。他者を救うために見返りのない寄付をする人も大勢いるのです。人ごとではなく自分の問題として捉え、社会のため、次の世代のために全力を尽くす人は日本にもちゃんと存在するのです。私も憲法を学び、さまざまな運動を見るようになるまでは、そんな人たちがいることに半信半疑でした。ですが、日本にも確実に、私利私欲を離れて人のために全力を尽くす人がいる。私は、そうした市民の志に勇気づけられ、力をもらってきました。

裁判では負けましたが、市民はその結果を受けて次の行動に出ることで、裁判での勝訴以上に大きなものを勝ち取りました。自分に降りかかるあらゆる事態の意味を決めるのは自分でなければなりません。結果に対して意味を与え、それを受けてその後どう生きるかを決めるのは自分です。それが自己決定権であり、自分自身の幸福追求権に他なりません。試験の結果から何を得て、そこからどう生きるかと全く同じことです。

司法試験に5回挑戦して、結果が出せなくとも、法務知識を活かして企業で活躍している方々も大勢います。結果に対してどのような意味づけをして、これまで学んできたものをどう活かしていくのかは、自分で決めるべきものなのです。なので、試験の結果を思い煩うことは無益です。そうは言っても結果を出すまでは不安で仕方がないという人もいることでしょう。

伊藤塾で学ぶ限りは勉強方法の不安は感じる必要はありません。実績が物語っているように塾の敷いた道を安心して一歩一歩進んでもらえばいいだけです。ときどき、塾のカリキュラムがこなせずに他の勉強方法が魅力的に思えて、いろいろと手を出して失敗する方がいます。ですが、数年でまた気づいて戻ってきて合格します。その迷いの過程も結果的には本人に必要なことだったのかもしれませんが、少し残念です。

勉強方法の迷いや不安は不要ですが、結果に対する不安は、実は有益です。何度も言っているように、結果が保証されないことに向かってどれだけ努力を続けることができるかが、その人の実務家としての価値を決めます。どんな分野でも実務の世界は先が不透明で誰も予測できません。予測できない未来だからこそ、自分の未来は自分で創り上げる気概が求められるのです。志を実現する過程での成長こそが価値ある成果なのであって、目先の試験の合格・不合格、裁判での勝ち負けなどは些細なことなのです。そうした大局観をもって、自分の人生を見つめ、社会の動きにも関心を持ち続けてほしいと思います。

2018年も激動の年になるでしょう。戦争だけはどんな理由があってもやってはならない。戦争を止めるために戦争を起こしたのでは本末転倒であると思っています。自らの信じることを、多くの市民が訴え続けることが本当に必要な年になるかもしれません。何が起ころうが、一歩先を考えて冷静に行動したいと思います。皆さんにとってよい年になりますように。私も頑張ります。

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