真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

2018年12月 3日 (月)

第280回 先例主義

裁判とは、原告、被告双方の言い分を聞いて、その食い違う争点に対して裁判所が憲法、法律に基づいて判断するものです。ところが、これまでの一人一票実現訴訟において、裁判所は私たちが提起した争点に対してまったく応答してきませんでした。

私たちの主張は、この問題について、憲法14条1項で規定されている法の下の平等違反を訴えるものではなく、前文第1文前段、1条、56条2項が要求する主権者による多数決という統治論に基礎を置くものです。主権者国民の44.8%という少数が国会議員の過半数を選出することになるような選挙区割りは、国民が主権者であることを前提とする憲法の下では許されないと主張しているのです。それは昭和51年4月14日最高裁大法廷判決とはまったく異なる理論構成による違憲無効の主張です。

しかし、そのことをこれまで最高裁判事が全く理解していなかったことが昨年9月27日の大法廷弁論で明らかになりました。このとき久保利英明弁護士が「我々は憲法14条に基づく人権論ではなく統治論に基づき憲法違反を主張している」と述べたことに対して、寺田逸郎最高裁長官から「代理人らは、本件選挙が、憲法14条等の法の下の平等に違反しているから違憲、と主張しているのではないのですか?」と質問されたのです。このように最高裁弁論の場で、最高裁判事から代理人に質問がなされること自体、前代未聞のことだそうです。そして、その質問内容から、我々の主張を長官をはじめ全く理解していなかったことがわかり、率直にいって大きな衝撃でした。そこで11月28日に行われた最高裁弁論(昨年10月22日施行衆議院議員総選挙に関する選挙無効裁判)においては、我々はあくまでも統治論を主張しているのであり、それが採用できないのであれば、その理由をしっかりと述べてほしいと訴えてきました。

これまでのような憲法14条1項の法の下の平等論では、不合理な差別は許されないが、合理的区別は許されるという相対的平等の考え方から、結局、合憲性判断は合理性の有無という抽象的かつあいまいな判断に委ねられてしまいます。ですが、主権者国民による多数決で国政運営しなければならないという統治論からの人口比例選挙の要請であれば、主権者による多数決が機能しているか否かを判断すればよいだけであり、判断基準は極めて単純かつ明確なものとなります。そしてこの要請による人口比例選挙を歪める必要性があるのであれば、それを国民が納得できるように説明する責任は被告にあるのですから、裁判所はそれが被告によって証明されたか否かの判断をすればいいだけなのです。

こうした判断枠組みは極めて単純明快なものと思われるのですが、私たちがこうした主張をしていたことをなぜこれまで裁判所に理解してもらえなかったのでしょうか。それは裁判所の先例主義に1つの原因であるように思えてなりません。優秀な最高裁調査官も含めて、あくまで先例の枠の中で判断しようとする姿勢に原因があるのではないでしょうか。 もちろん、法的安定性や継続性も重要な価値であり考慮すべき要素ですが、私たちは、決して思い付きでこうした統治論を主張しているのではありません。9年にわたる裁判において確信をもって一貫して主張し続けているのです。

先例に縛られて過去の判例の枠組みの中でしか判断しないのであれば、法律学の進歩はありません。どんな学問分野でも同様ですが、従来の枠にとらわれない柔軟な発想の中からしかその学問の進歩は生まれません。自然科学の世界では実験を繰り返して仮説を検証するのですが、法学のような社会科学の世界では、建設的な対話、議論・討論を通じてよりよいものに近付けていくのだと思います。対話を通じた不断の努力によってこそ社会は進歩していくものだと確信しています。そして、意味のある対話、議論・討論をするためには、お互いがその主張の根拠・理由を示さなければなりません。

国会においても、移民政策の是非について全く建設的な議論もなされないままにこの国のかたちが変わろうとしています。保守と言われている人達の手によってこうした横暴な国政運営がなされようとしていることに驚きますが、個人の尊重を否定する改憲案を提示している自民党ですから、その点では一貫しているのかもしれません。しかし、議論・対話も無しに単なる安い労働力という道具として外国人を扱うような法律を強行採決して成立させてしまうことは、いつか必ず大きなしっぺ返しを食らうことでしょう。

さて、裁判所が、私たちの統治論の主張に対して何らの応答もしないというのでは、理由を付けて裁判がなされたことにはなりません。民訴法253条1項3号で判決書に記載を義務付けられているところの「理由」は、これが求められている趣旨から考えれば、判決の結論を導くための理由です。 従って、裁判官が、本件選挙は憲法に違反していないとの結論を採るのであれば、私たちが「統治論に反して憲法違反である」と主張しているのですから、「統治論に反していない」ことの理由を、結論を導くための理由として判決書に記載することが義務付けられているはずです。「憲法14条1項違反ではない」ことの理由を述べるだけでは、本件選挙が憲法に違反していないことの理由を記載したことにはなりません。 通常の事件は最高裁で判断がなされると、さらに争う道は再審しかありません。ですが、幸か不幸かこの一票裁判は違憲の選挙が行われる度に繰り返すことができます。そこで最高裁の判断に対して次の裁判で反論したり、さらに理論を深めたものを主張することができるのです。

最高裁大法廷の代理人の座席は、15人の裁判官の方に向けて作られています。通常の裁判所の法廷は原告、被告が向き合う形で代理人席が配置されていることと比べて特徴的です。これは最高裁を、御白洲に座ってお上の沙汰を受ける評定所とするためではなく、代理人が裁判官と対話するためにこのような座席配置がなされているのだと思っています。

今後も対話を否定し、過去の先例に従うだけの裁判が続くのであれば、近い将来、裁判は人工知能(AI)にとって代わられるでしょう。過去の膨大なデータから先例に従って結論を導き出すことは人工知能が最も得意とすることだからです。先例主義を打破した新たな創造の中からしか、司法の未来も生まれないと考えます。

昨年の総選挙は、国会においていわゆるモリカケ問題などで政府を追及しようとする衆参両院の各4分の1以上の国会議員による臨時国会の召集要求(憲法53条)を98日間もの長きにわたり無視し、その後ようやく開かれた国会の冒頭で行われた衆議院解散後の選挙です。憲法の規定に則って行政監視機能を発揮しようとした少数会派の国会議員が要求した国会すら開かれず、このような憲法無視のあげくに行われた選挙という特異なものでした。

またこの選挙で、自民党は、自衛隊の明記、緊急事態条項、参院選の合区解消、教育無償化・充実強化の4項目で改憲を目指すことを選挙公約として初めて掲げました。本件選挙の結果を受けて、現国会議員が憲法改正を発議することにでもなれば、その正統性が、これまでの法律制定のとき以上に問われることになります。国民の多数によって正統性を与えられていない国会議員による発議によって、国のかたちが変えられてしまうことは、国民にとってはこの上ない悲劇です。

もし最高裁が、自らその存在意義を否定するような消極的な姿勢によって、政治部門の判断を追認してしまうような判決を出すとしたら、政治的な問題に巻き込まれたくないという最高裁の意図とは全く別の結末を迎えるおそれがあります。最高裁であっても、政治部門の意向を忖度する極めて政治的な機関であるとの印象を国民に与えてしまい、かえって国民からの信頼を失ってしまうことにつながると思われるからです。今回の選挙に至る経緯のように憲法無視の政治運営が続く中で、最高裁を含むあらゆる権力が政権与党に忖度し、その意向に異論を唱えることができないようであれば、この国はとても立憲民主主義国家とはいえないでしょう。

最高裁は平成30年10月17日岡口基一裁判官に対する懲戒処分決定において、「裁判の公正,中立は,裁判ないしは裁判所に対する国民の信頼の基礎を成すものであり,裁判官は,公正,中立な審判者として裁判を行うことを職責とする者である。」と判示しています。私はこの決定には全く反対なのですが(第279回雑感)、仮に裁判官は私生活上の行状においても国民の信頼を得ることが必要だというのであれば、裁判内容によって国民の信頼を得ることはさらに必要かつ重要なことであるはずです。

最高裁判所は最高の裁判をするところでなければならないと国民は考えているはずです。是非その期待に応えて最高裁への信頼を確保してもらいたいと思っています。そして、皆さんには先例主義にとらわれず、自由な発想で未来創造的な仕事をする法律家、行政官になってもらいたいと願っています。

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