真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

2019年4月 1日 (月)

第284回 憲法1条と99条

憲法1条と99条は実質的には日本国憲法の最初と最後の条文です。さて、この2つの共通点はなんでしょうか。それは、共に天皇が登場することです。

1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」、99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定します。

この雑感を皆さんが読んでいるころには新元号が発表されているはずです。新元号は4月1日閣議決定され、現天皇の署名・押印を付した政令によって公布されます。この政令の公布は内閣の助言と承認のもとで行う国事行為(7条1号、3条)であり、天皇の意思が介在する余地はありません。天皇が時を支配するという趣旨で元号を定めてきた伝統を重視する保守派の中には、天皇の即位後に新天皇によって公布されるべきだという考えもあるようですが、それは現憲法では無理なことでしょう。

天皇による統治を強めるために明治時代に1人の天皇に1つの元号とする「一世一元」制が始まりましたが、新憲法とともに廃止され単なる慣習になっていたものが、1979年の元号法により「一世一元」が復活しました。元々は暦と合わせて皇帝が人々の時間を支配する中国の仕組みを導入したものですし、645年の「大化」以来、幕末までは厄払いの意味合いの改元も100回ほどあったというのですから、あまり一世一元にこだわることもないのにと思いますが、「天皇の元号」という意識を通じて天皇制を日本国民の中に日本人としてのアイデンティティとして浸透させたいのでしょうか。元号が単なる時間の区切りの意味を超えて排他的ナショナリズムに利用されないことを祈るばかりです。

祈りといえば、現天皇は2016年8月の「おことば」で天皇の務めとして、「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」の2つをあげています。それに続けて「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。」と述べていますが、前者の祈り、つまり宮中祭祀は象徴としての行為としてよいものなのでしょうか。

これは内閣の助言と承認を必要とする象徴としての行為ではなく、あくまでも個人的な行為に過ぎないと言わざるを得ません。言うまでもなく宗教行為ですから私的なものであり、公費ではなく内廷費でまかなうべき性質の行為です。そうでなければ政教分離原則に違反してしまいます。秋篠宮が53歳の誕生日の際に、天皇の代替わりに行われる皇室行事のうち大嘗祭の費用について国費でまかなうことへ疑問を呈しましたが、真っ当な発言でした。

では、沖縄、サイパンなどの激戦地への慰霊の旅や終戦記念日に「深い反省」と発言することなどはどうでしょうか。戦争を二度と繰り返さないという平和への強い思いが伺われ、リベラルな言論人もこれらを許容するようになりました。安倍政権があまりにも憲法無視を続けるために、天皇の護憲発言が期待されるようになったからなのかもしれません。しかし他方でこれは天皇の政治利用ではないかと批判する人もいます。

この国の主権者は国民です。昭和の時代の戦争責任を明確にすることも、戦争を二度と繰り返さないことも主権者たる国民が主体的に行うべきことであり、天皇の言動を利用して解決するべきものではありません。その意味では、現天皇の護憲発言をリベラルな人々が持ち上げるのは筋が違うのかもしれません。ですが、憲法は99条で天皇に憲法尊重擁護義務を負わせています。国家機関としての天皇に、単に憲法を尊重するだけではなく、擁護する義務を課しているのです。

したがって、現天皇が即位後の1989年8月の記者会見で「国民と共に憲法を守ることに努めていきたい」と述べ、その後も憲法遵守を表明しているのは当然のことになります。ということは、天皇を尊重する保守派の方々ほど、天皇が尊重し擁護する憲法9条を大切にしなければならないのです。これは困ったことだということで、2012年自民党憲法改正草案では憲法尊重擁護義務者から天皇を削除しました。憲法を超越した存在として天皇を位置づけたいようです。ですがこれでは明治憲法よりも立憲主義が後退してしまいます。

そもそも天皇制自体が人権、婚姻の自由、法の下の平等の例外であり、世襲という貴い血を認めることは卑しい血を認めることにつながり、知らず知らずのうちに国民・市民の社会的差別意識を生み出していないか、皇位における性差別が国民レベルにおける性差別感情の温存に影響していないか、君が代、日の丸というシンボルとの結びつきの影響など議論すべき論点は多くあります。タブーなき議論が活発に行われてこそ、その「地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」といえます。

天皇の祈りや宗教儀式に、多くの国民は寛容かもしれません。しかし、信教の自由、政教分離は少数者の人権保障がその趣旨だったことを忘れてはなりません。今後、改元に続いて天皇の代替わりの儀式が行われていく中で、少数者への配慮、国民が主権者であること、言論の自由の保障等の憲法価値がメディアなどでも強く意識されることを望んでいます。

伊藤塾ホームページ
Copyright © 伊藤塾/(株)法学館 1996 All Rights Reserved.