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2020年1月 1日 (水)

第293回 謹賀新年

伊藤塾東京校のある渋谷がどんどん変わっています。新しくきれいなビルが建ち、駅の様子が変わり、歩道橋が移動し、数年前とはすっかり様変わりしました。塾前の桜並木も数年前にきれいに整備されました。今後もどんどん変わっていくことでしょう。古いものは新しいものに入れ替わっていきますが、古いものはかつては新しいものでした。そして、その新しいものはしだいに古くなっていきます。

皆さんは、新しい年をどのように迎えていますか。不思議なものです。切れ目なく「時」はつながっていて、昨日と何も変わりなく地球は回っていますが、人間は新年という人為的な区切りをつけたがります。これはけじめをつけて変わりたいという意識の現れでしょうか。今年は頑張るぞという気持ちの切り替えをして、決意を表明することで自らを鼓舞するのです。

誕生日、年度末、そして正月。本当は何も変わっていないのに、変わった気になるようなシステムです。本当は変わっていないのに変わった気にさせるために、創り出された便宜的で都合のいい概念なのかもしれません。この時間という概念は本当に不思議なものです。Timeという言葉は切るというゲルマン語のタイから来ているそうです。イタリア語で時間を意味するTempoはラテン語の広がるという意味のテンプスから来ているそうです。ゲルマン語由来の時を刻むというイメージにはカントの時計をもって時間どおりに散歩する姿がぴったりです。逆にラテン語由来のテンポからはなぜか南ヨーロッパのゆったりした時の流れを感じます。

時間を、つながりと広がりを持ったものとして意識するか、細分化されていて限定されたものと意識するかによって、だいぶ自分の気持ちや行動様式も変わってきます。仕事や勉強に関しては、「限られた時間と明確な目標設定が成功の秘訣」と常日頃から言っていますし、自分でもそれを実践しています。人生の時間は有限だと自覚しているからです。

ですが、年末年始くらいあえて、テンポのイメージで時間をとらえてみたいと思いました。何も変わらずただただゆったりと時が流れ続ける。自然を眺めながら、そんな悠久の時間を感じることができたらいいなと思っていました。人間の命のように有限ではなく、いつまでも変わらず流れていく時間を自然の中に感じたいと思ったのです。

ところが、自然や地球の時間がこれからも変わらずに流れていくという認識自体が誤りであることが明らかになってきました。人間が人為的に地球の時間を人間の命と同じように有限なものにしてしまったようです。昨年、日本では様々な政府や企業の不都合な事実が隠蔽されてきました。仮に明るみになっても隠蔽、改竄、廃棄、言い逃れによって不都合な事実がなかったことにされてきた事例がこんなに続いた年も珍しいように思います。ですが、国民もその不誠実さに鈍感になってしまったようで、強い怒りの声を聞くことはあまりありませんでした。そんな自らの鈍重さにも辟易していた中で16歳のグレタ・トゥンベリさんの訴えは衝撃的でした。ニューヨークの国連気候行動サミットで5分にも満たないスピーチの間に「how dare you」(「よくもそんなこと」「なんと恥知らずな」)を4回も繰り返したのです。大人に対する強い怒りの言葉でした。

日本ではあまり話題にされずにいますが、世界では気候危機(climate crisis)が相当深刻なものとして受け止められています。産業革命による工業化以降、世界の平均気温は1度上昇しており、このままでは2040年までに1.5度上昇するおそれがあるなど、人間の活動による二酸化炭素等の温室効果ガスの排出が世界の気候に影響を与えていることが明らかになっています。夏の猛暑日の増加、氷河消失、積雪や海氷面積の減少、海面上昇、豪雨と干ばつ、頻繁な台風などここ数年の実感できる変化だけみてもあまりに異常です。1度とか1.5度上昇と言われてもあまりピンときませんが、自分の体温が36度から1度上がってずっと微熱が続いている状態をイメージするとその異常さが理解できます。日本のみならず世界で頻繁に発生し激甚化している自然災害との関係は到底無視できるものではありません。

こうした気候危機に対して、日本政府の対応はあまりに出遅れています。昨年スペインで開かれたCOP25では、温暖化対策に後ろ向きと認定された国が選ばれる不名誉な化石賞を2つも受賞してしまいました。石炭、化石燃料の発電を選択肢として残しておこうとする姿勢に対してのものです。日本は、世界が廃止に向かっている石炭火力発電所の新設計画のうちすでに稼働した15基の他、さらに計画、建設中の22基が稼働すれば排出抑制とは程遠い状況になります。主要7か国(G7)の中で、日本が唯一、海外への石炭火力発電プラント輸出を促進していることも批判の対象です。さらに世界の金融・投資の現場では脱炭素化に向けた変化に対応できる企業かどうかが企業価値を判断する重要な基準になっているにもかかわらず、日本のみずほ、三菱UFJ、三井住友の3グループが、石炭火力発電事業に融資している世界のトップ3となっています。まるで世界の潮流など眼中にない様子です。これでは国際競争に勝てないどころか、その土俵に乗ることもできないでしょう。

原発事故を経験し、環境対策の最先端を走ってきた自負のある日本だけにとても残念な気持ちになります。昨年、頻発した国内での不祥事、コンプライアンス違反事案とこうした環境危機対策における姿勢は共通した原因があるように思います。それは、「今だけ、金だけ、自分だけ」よければいいという倫理観の退廃です。自分の在職中に問題が表に出なければそれでよし、経済的な利益が判断基準、そして自分の欲望を優先させるという中で、まともな社会の発展など望めるわけもありません。自分が死んだ後の地球のことなど無関係、水害被害は個人の運不運の問題で自分はラッキーでよかった、経済面を考えると現時点では石炭と原子力に依存するしかない、云々。

これからの時代は、気候正義(climate justice)という言葉に象徴されるように、気候危機により不利益を受ける人々と利益を得ている人々との間の不公平、不公正がさらに深刻な問題になっていきます。それは、これまで経済的価値、利潤という物差しだけで測って決めてきた行動基準より、命という価値、人権と人間性の価値という物差しによる行動基準を優先させるように、世界の多くの人々や先端的な企業が価値観そのものを変化させていることを意味しています。そしてこれは日本国憲法の根本価値そのものです。憲法13条前段の個人の尊重は、「皆違っていい」とそれぞれの個の存在を肯定した上で、「誰も取り残さない」という愛に満ちた条文です。憲法前文とともにSDGs(持続可能な開発目標)を先取りした憲法価値を実践していけるかどうかが、今後の日本の存続の要になっているように思います。

グレタさんの活躍で思い出したスピーチがあります。1992年ブラジル・リオデジャネイロで行われた国連地球環境サミットで12歳のカナダ人少女セヴァン・カリス=スズキさんの 6分間のスピーチです。そこで彼女は以下のように訴えました。

「オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。 死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。 絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。 そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。 どうやって直すのかわからないものを壊し続けるのはもうやめてください。 … もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどそのことを知っています。 … なぜあなたたちが今こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。 そしていったい誰のためにやっているのか、 それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。 皆さんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく『だいじょうぶ。すべてうまくいくよ』といって子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、『できるだけのことはしているから』とか、『この世の終わりじゃあるまいし』とか。 しかし、大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。 お聞きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

父はいつも私に不言実行、つまり、何を言うかではなく、何をするかでその人の値うちが決まる、といいます。 しかし、あなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。 あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、言わせてください。 もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動で示してください。 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。」(「あながが世界を変える日」学陽書房より一部抜粋)

このスピーチから30年近くたって、地球環境はどうなったのでしょうか。もう待ったなしのようです。子どもは大人になります。そして大人は消えていきます。ですが、誰もが今を生きるものとして、未来に責任があります。未来の原因を作っているからです。まずは、自分が変わること、流れに任せておけばうまくいくはずだという楽観論だけではなく、人間が壊し続けている地球も有限の存在であることをしっかり自覚して、一日一日を大切に生きなければと改めて思いました。 今年一年が皆さんにとっても、地球にとっても、よりよい方向へ進む年であるように心から祈念しています。