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2020年2月

2020年2月 1日 (土)

第294回 修習時代

司法試験に合格すると司法修習が待っています。現在は期間が1年間に短縮されてしまいましたが、私のころは2年間でした。湯島(東京台東区)にある司法研修所(旧岩崎邸の敷地内にありました。)での前期修習4か月、全国に散っての実務修習(民事裁判、刑事裁判、検察、弁護各4カ月ずつ)、そして湯島に戻っての後期修習4か月と、実に充実した2年間を送ることができました。私は東京での実務修習でしたが、地方での実務修習を経験し、そのまま修習地で弁護士になる人も多くいました。

修習中に検察官、裁判官の魅力に触れる機会も多く、当時の私は将来の進路について大いに迷いました。当時は検察官志望者が少なかったからか、検察教官から強く検事になることを勧められました。実務修習でお世話になった検察官は誰もが人間的に魅力ある方ばかりでしたし、湯島では佐藤道夫教官(後に札幌高検検事長を経て参議院議員を2期務められた)にずいぶんと飲み食い付きの勧誘を受けて、私の気持ちも相当、検事に傾いたものです。「権力を正しく使ってみないか」という言葉は、世の中を知らない若造にはかなり魅力的な誘い文句でした。

また、刑事裁判教官の「裁判官は精神貴族だ」という言葉にもひかれました。自分は貴族とは無縁だと思い辞退しましたが、もし裁判官になっていたら全く違う人生になっていたことでしょう。当時は渉外事務所であっても今ほど大きな事務所はなく、仕事の内容も国際業務や自分が好きなコンピュータ関連の事案もあり、これにも魅かれました。 結局何をしたいのかが自分でもわからないまま、最終的にはあえて道が敷かれておらず、将来の選択の幅が最も広そうな弁護士を選びました。私の修習時代は悩みと迷いの連続だったように思います。合格前から司法試験受験指導に関わっていたこともあり、弁護士になってからも次第に受験指導に注力するようになっていきました。あのときの迷いがあったからこそ、本当に自分がやりたいことを30歳半ばになって見つけることができたのだと思っています。

当時は、学者でもない人間が受験指導をすることを含めて相当批判されたものです。マニュアルや受験テクニックばかりを教えているというワンパターンの誹謗中傷はひどいものでした。そんな中で、法律をゼロから学びたい人のための入門講座を開発し(当時は独学か試験委員の大学教授の講義を潜りで聴くしかありませんでした)、論証を事前に準備しておく勉強法を生み出し、法的三段論法という言葉を普及させ、すべての論文過去問を解答例とともに検討することを日本で初めて行うなど、司法試験受験のスタンダードを創っていったのです。

多様性こそ法律家の世界に必要であり、法学部以外の学生や社会人経験を経た方々に法律家になってもらいたいとの思いから、こうして受験指導に邁進してきましたが、「普通の弁護士の仕事をしたらどうだ」「いつまでそんなことをしているんだ」という声は止むこともなく、いくつかの修羅場も経験しました。それでも人と違う自分の道を貫くことができたのは、憲法13条のおかげだと思っています。

受験時代には表面的な理解しかできていなかった憲法の「個人の尊重」「個人の尊厳」を実感できたのは修習時代でした。若く合格して社会を知らない自分にとって、タクシー運転手や建設業など様々な社会経験をして合格してきた年上の修習生の方々が眩しかったのを覚えています。いかに自分が多数派、強者の側の人生を歩んできたのかに気づき、少数者の人権などと答案に書いて合格した自分の未熟さを思い知り、居心地の悪さや恥ずかしさを感じたのもこのころでした。

自分がそれを知ったときの感動から、個人の尊重、個人の尊厳、そして「人と違うことはすばらしい」という憲法の核心を市民や子どもたちに伝えたいという一心で40年近く憲法に関する講演も続けてきましたが、最近は、普通という言葉がとても気になります。「普通の裁判官はそんなことしない」、「普通の家庭では・・・」「普通の子どもは・・・」と聞く度に普通という言葉など無くなってしまえばいいのにと思っています。今から思えば、修習時代のクラス旅行の夜更けに「これって普通じゃないよなあ」と思いながら、皆が飲んで寝静まった後に、モソモソと起きて受験指導用のテキスト原稿を書いていたころから明らかに普通ではなかったようです。

個人の生き方としては、普通という言葉などなくていいと思っているのですが、裁判官や検察官、行政官など権力を行使する仕事をするときには、普通の市民感覚を忘れてもらっては困るとも思っています。弁護士の仕事をしていると、今までの自分の生活圏では絶対に会うことはなかった人に会うことがあります。想像を絶する貧困生活を目の当たりにしたり、逆に湯水のようにお金を使う富裕層の実態を知って驚いたり、本当に様々な人がいるのだと改めて実感します。

先日、最高裁判事であった山浦善樹弁護士による明日の法律家講座の講演がありました。最高裁判事だった方の6人目の講演です。これだけ最高裁判事や検事総長、日弁連会長、国連大使、総理大臣経験者など社会で活躍されてきた様々な方々が講演してくださること自体が本当にありがたいことです。多方面の官僚の方々から現場での経験を話してもらう機会もありますので、公務員志望者の塾生にも有意義なプログラムです。300回以上の実務家講演はどこの大学でもロースクールでもやっていないことですが、「合格後を考える」という伊藤塾の理念に共感してくださる皆さんの協力でここまでやってこれました。塾生の皆さんには迷いながら合格後を考えてほしいと思っています。

さて、その山浦先生の講演ですが、「マチ弁から最高裁判事へ」という演題でした。銀行員を経て弁護士になり、1人弁護士1人事務員の事務所を立ち上げて市民のために尽力されてきました。法律家の仕事は、法を使って市民の不安や悩みを解消し和らげること、法は人を幸せにする道具だと断言されます。その山浦先生が最高裁に入り、夫婦別姓事件、再婚禁止事件などを担当し、誰もが持っているであろう無意識の差別意識から解き放たれた社会の実現のために、まさに権力を正しく行使されてきました。最高裁判事を退官してからまたマチ弁に戻って、一人ひとりの依頼者のために全力で取り組まれています。「他人の苦しみを自分のこととして感じられない人は法律家に向かない」とはっきり言えるような人が裁判官になるべきだとつくづく思いました。山浦先生の話を伺って、これがまさしく法曹一元であり、本来憲法が理想としていた司法制度だと確信しました。

今、いくつかの憲法訴訟をやっていますが、その中で裁判官が精神貴族ではなく官僚になってしまっている姿をいくつも見てきました。政治部門と一線を画した司法部門の存在意義が今ほど問われるときはないように思います。司法の民主化のゴールは法曹一元であり、そのために2年間の司法修習があるのだと思っていました。修習では将来の志望とは関係なく、全員が法曹三者の実務を体験します。その中で立場や感覚の違いを理解し、法律家は市民のために仕事をするのだと実感できます。

法曹養成制度改革の功罪は様々ありますが、公平性、開放性、多様性という理念からはほど遠いものになってしまった法科大学院制度の残念な結果だけでなく、司法修習期間短縮によるカリキュラムの過密化も大きな問題だと思っています。余裕をもって法曹三者の内情を実感できる唯一の機会を奪ってしまったことは、単に修習生の負担増というだけでなく、法曹一元の将来展望を見誤るものだと憂慮しています。

実務修習期間を延ばし、余裕をもって社会の現場を知る機会が少しでも増えることが、司法全体の底上げにもつながると思います。法科大学院や受験制度を変えるだけでなく、給費制による司法修習をより充実した余裕のあるものにすることが、これからの日本の司法の未来にとって重要なことのはずです。 塾生の皆さんには、ぜひ、当事者目線を忘れずに自分らしい仕事をする法曹、行政官を目指してほしいと思います。