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2020年4月

2020年4月 1日 (水)

第296回 パンデミックと桜

毎年、この時期の雑感はさくらをテーマに書いてきました。渋谷の伊藤塾の前には見事な桜並木があり満開を迎えています。例年はそれを題材に、桜は散り際が大切だとか、桜の花言葉とされている気高い精神とすばらしい教育は塾の理想とぴったりだなどと書いてきました。

ですが、今年はさすがにそんなのんきなことを言っていられなくなりました。世界で数十万人が感染し大勢の方が亡くなっています。サッカーの試合がきっかけで感染が拡大したイタリアのベルガモでは、まるで戦場のようだと表現せざるを得ない状況に追い込まれています。トリアージによって命の選別をせざるをない状況は医療関係者の方々にとっても、患者のご家族にとっても本当に苦しいことです。日本でもテレビで元気な姿を見せていた方が亡くなると、穏やかな日常がどれほど価値あるものかを意識せざるをえなくなります。

国家の役割は国民の生命・健康・財産を守ることです。この点については、私たちは何のために国家をつくったかを考えれば明らかなことです。人々は自分たちの利益を守るために国家という組織をつくりました。相互に契約して権力を国家に委譲したという社会契約の考えをとるかどうかは別にしても、そこで生活する人々を無視して国家の存続自体を目的にすることは自己矛盾です。なぜなら国家に価値を見出す人がそこに存在しなければ、いくら国が大切と言ってみても意味がありませんし、そもそも国家は国土、国民、主権から成り立っていますから、国民がいない国家など国家の名に値しないからです。

となれば、国家は全力をあげて国民の存在を守り切らなければなりません。国民に対して降りかかる害悪が戦争であろうと、疫病であろうと、自然災害であろうと変わりはありません。ただ、そのときの国民の守り方が国によって様々です。一般国民よりも特定の支配層を守るために政策を実現する国もあれば、一般国民、特に社会的経済的弱者を第一に守ろうと動く国もあります。

アメリカは世界最大の軍事国家ですが、コロナウイルスから国民の生命・健康・財産を守れていません。当たり前のことですが、国民の生命・健康・財産に対する脅威は戦争だけにとどまりません。疫病、自然災害、貧困・格差など多くの脅威があります。それらに優先順位をつけて、国民にとって本当に必要なものから対策を講じていくことが国家には求められます。アメリカでは健康は自己責任の問題だとして医療関連の社会保障を怠ってきました。そのツケが回ってきたようです。ニューヨークでは2月末には死者1人だったものが、たった1か月で3000人を超えています。とてつもないスピードで被害が拡大しています。こうした感染症の蔓延を目の当たりにすると、それによって単に貧困層が犠牲になるだけではなく、国家全体が甚大な被害を受けることや、経済にも大打撃となることがよくわかります。

憲法は前文で「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(憲法前文2項)と規定して平和的生存権を人権として保障しました。ここでの平和とは、単に戦争がない状態ではありません。誰もが感染症などの恐怖から免れ、経済破綻による貧困から免れて、自分らしい幸せを求めて穏やかに生活できることが平和として保障されているのです。そしてその実現に向かって国際社会に貢献することを日本はめざします。これが本来の積極的平和主義です。

さらに憲法は、国家の安全保障ではなく国民一人ひとりを守る人間の安全保障をめざしていると解することができます。人間の安全保障とは、個人の生存、生活、尊厳を脅かすさまざまなリスクや脅威(貧困、飢饉、災害、環境破壊、紛争、人権侵害など)に対し、人間一人ひとりに注目し、人間同士の尊厳を認め合いながら、市民的な共感と連帯による平和の尊重、人権擁護をめざす考えです。すべての人の生存、生活、尊厳を確保することをめざすもので、近時のSDGs(持続可能な開発目標)の核心である「誰一人取り残さない」ことにつながります。

こういうときだからこそ、憲法前文が規定する平和的生存権や人間の安全保障の意義を再認識する必要があるように思います。そして、軍事力では国民の生命・健康・財産を守ることはできない時代に入ってきていることをしっかりと確認することが必要だと思います。国境によって区切られた国別で対応するのでは解決できない問題が山積みの時代です。地球温暖化のみならず私たちの健康についての問題も、互いに協力しなければ乗り越えられないことをコロナウイルスは私たちに認識させました。

今の時代は、わからないことが多すぎる。だからこそわかったつもりになるのではなく、何が正しい答えなのかわからないことを自覚しつつ、それでも決断することが必要なのだと思います。多くの人を巻き込んで一定の成果を出すためには、正解がわからないからこそ、事実と論理と言葉で人々を説得することが必要になります。憶測やデマが飛び交う危険があるからこそ、リーダーはわかりやすい明確な言葉で、方向を指し示す必要があるのではないでしょうか。危機的な状況であればあるほど、政治家の言葉には説得力が求められます。

先月末の週末は、都知事から首都圏の住民に外出自粛が呼びかけられました。確かに渋谷のスクランブル交差点あたりは人影もまばらでしたが、パチンコ店の前にはいつもどおり行列ができていました。不要不急の外出は控えるように言われても、人によってその受け止め方がまちまちなのは否めません。その上、都知事の自粛要請には強制力はありませんから、従うか否かは個人の自由です。従わない人がいても当然でしょう。だから諸外国のように強制できる法的根拠を明確にするべきだという議論があるのは当然です。

私は、明確な要件の下に人々の集会、外出などを禁止することは、必要最小限の行動制限であるならば、公共の福祉の範囲内の規制として許されると考えています。集会などは表現の自由にかかわりますが、規制目的との関係で一定限度の集会規制は許される範囲内だといえるでしょう。もちろん濫用の危険もありますから、事前・事後チェックは必要です。ですが、緊急に感染症の拡大を防止するために、そしてより被害の大きな都市封鎖を避けるために一定期間、制限が必要とされることがあります。ただこうした国家の適法行為によって損失を被った場合でも正当な補償を受ける権利があります(憲法29条3項)から、その救済策も同時に考えておくべきです。一部の人を犠牲にして、多くの人が利益を受けることは不公平ですし、人権として個人の財産を保障した憲法の趣旨に反します。

こうした事後的な救済を含めた立法による対応をせずに、単なる協力のお願いという形で感染拡大を防止しようとしても、中途半端な効果しか得られません。法律によって行政は動きますし、権力行使が正当化されます。法律の根拠が明確でない要請を繰り返せば、かえって法律による行政、法治主義が徹底できなくなります。仮に感染症法33条による交通制限を知事が命じるのであれば、その要件効果を国民にわかりやすく説明するべきです。PCR検査のみならず、血清検査など多様な方法によって実態をできるだけ把握して、その事実に基づいて判断し、それをわかりやすく、真剣さが伝わるように国民に説明していくことが不可欠であると思います。

国会では、インバウンド激減、外出自粛などにより経済的打撃を受けた人々への救済策が遅ればせながら議論されているようです。全国民の代表であることを忘れた族議員によるお魚券やお肉券は論外としても、現実に今を乗り切れるかという瀬戸際にいる国民・市民をどう救うかという問題と、今後の落ち込んだ経済をどう立て直すかという問題とをしっかりと区別して迅速な対策をとってほしいものです。どのような対策であっても一長一短はあるでしょう。だからこそ、その判断過程の適切さ、手続の適正さがものをいいます。それが決断した結果に対する信頼を生み、リーダーシップへの信頼すなわちリーダーの言葉に従おうとする信頼につながります。

今回のように予想もできないことが起きることがあります。それに対して、各人がこれをどう乗り切るかを自分事として真剣に考え、立ち向かう気概を持つことが何よりも重要です。見えない敵と闘うことは大変な困難を伴いますが、気を付けるべきは、油断したくなる自分の心です。天災と同じく自分は大丈夫だという慢心や油断が甚大な結果を招くことになります。「ウイルスはすぐにそこにいるかもしれないと自覚することが大切です。桜は来年も必ず帰ってくるけど、命を奪われたら二度と帰ってきません」というiPS細胞研究所長・山中伸弥教授のメッセージはとても重いものです。

さて、伊藤塾でもこうした状況を踏まえて、全校舎でライブクラスを一時的にネット配信に切り替えます。25年前の塾立ち上げの直後から、自宅でも通学するのと遜色ない授業が受けられるようにと、単なる通信講座ではなく「在宅校」として映像教材による学習システムを取り入れ、法律分野では日本で最初にネット講義配信を実現してきた伊藤塾ですから、心配いりません。質問受けやフォロー体制も含めて塾生対応の準備は整っています。これまでどの試験種においてもネット授業(在宅クラス)で圧倒的な合格実績を出し続けてきていますから、安心してもらえると思います。

そうは言っても、公務員試験、司法試験受験生の皆さんは、そもそも試験が通常通り行われるかどうか不安なことでしょう。オリンピック選手と同じように本番当日にピークを持ってくる訓練をしているのですから、万が一試験日が変更になりにでもすれば、大きな影響があります。7月の司法書士試験や予備試験の論文式試験ですら影響があるかもしれません。

しかし、そうした条件の変更は皆同じです。本番では予想外のことが起こることを予想しておかねばならないということは、いつも言っているとおりです。状況の変化に対応できるかも試されているのがこの試験ですから、何があっても負けないという決意だけは持ち続けて下さい。模試でも自宅であってもしっかりと時間を計って会場にいるのと同じ緊張感を経験してください。

社会人の方でテレワークなどにより時間の融通がつくようになった方は、このチャンスを活かしてください。時差通勤などにより通勤時間を勉強に活用しやすくなった方も多いと思います。移動時間などの隙間時間の活用が合格の秘訣です。司法書士試験、行政書士試験に向けて頑張っている社会人の方も、ピンチをチャンスに変える発想が求められています。仕事も大変だと思いますが、こういうときだからこそ、単なる自己啓発に留まらない生き抜く力を身につけるには良い機会だと思います。負けずに頑張りましょう。

これから勉強を始める新入生を始めとした大学生の方は、大学で授業を受けることができるようになるまでのこの時期をどう過ごすかで、本当に今後の人生は大きく変わると思います。大学のオンライン授業を活かすためにも、WEBを使った伊藤塾での法律の基礎基本の学習を徹底的に活用してください。伊藤塾では単にインターネットで講義が聴けるだけではありません。短答の問題も解けるし、テキストも読めるし、判例もデータベースでしっかりと確認できます。伊藤塾を利用すれば合理的で無駄のない勉強をすることができ自由な時間と将来の可能性を生み出します。この機会に一気に差を付けてほしいと思います。

それぞれの置かれた環境でベストを尽くすこと、そしていかなる状況も謙虚に受け入れながら、何があっても、焦らず、慌てず、諦めず、「ゆっくりいそげ」(Festina Lente)を忘れずに毎日を大切に過ごしてください。私も頑張ります。