« 第305回 失敗のすすめ | メイン

2021年1月 1日 (金)

第306回 謹賀新年

第306回 謹賀新年

昨年、コロナで時間が止まっていたかのようでしたが、本当に予測不可能な一年でした。コロナの問題だけでも、振り返ってみると2019年12月中国の武漢において原因不明の新型肺炎の発症が報告されると、日本でも2月にダイヤモンド・プリンセス号のクラスター発生、そして3月にWHOのパンデミック宣言と史上初のオリンピック延期。そして、緊急事態宣言、アベノマスク、GoToキャンペーンなど、政策の混乱に振り回され、適切な休業補償もないままのコロナ対策によって日本経済は大きなダメージを受けてしまいました。何か想定外のことが起こるとは思っていましたが、ここまでの事態になることを1年前には全く予想していませんでした。

「静かな年末年始を過ごしていただきたい」との菅首相の言葉どおりステイホームを守り、外出自粛をしている国民も確かに多いのですが、心まで静かで穏やかな年末年始という人はそれほど多くなさそうです。GoTo停止や営業時間のさらなる短縮要請によって観光業や飲食店は相当な犠牲を強いられています。緊急事態宣言の発令なしに国民の行動変容は可能と首相はいうのですが、法的根拠のないお願いベースでは限界があることは明らかですし、損失補償も適切に対応できていません。罰則付きで自粛を強制することは容易なことではなく、感染力がより強いとされる変異種が日本でも感染拡大する危険が大きいことを考えると、平穏なお正月にはそう簡単にはなりそうもありません。

東京の感染者も最多更新が続いています。毎年のインフルエンザでの死亡が3,000人から4,000人と言われますが、それでもコロナ感染者21万人超、死者3,000人超は相当な数字です。世界に目を転じると、感染者は8,000万人を超え、死者は175万人を超えていてまさにパンデミックの異常事態です。確かに世界に比べて、日本の感染者は少ない数字ですが、調査方法にもよりますし、国内の感染症病院での医療のひっ迫状況、医療崩壊の危機という点では決して楽観できません。日本の公衆衛生のレベルの高さは誇れるものがあるとしても、保健所や感染症対策法制、アメリカの疾病対策センター(CDC)のような組織の未整備と多くの課題が残されています。

毎年大きな自然災害が続き、このようなパンデミックに見舞われると、そこで生じる被害はこうした事態への備えの不十分さからくる人災に思えてきます。対米従属といわれる軍事的安全保障面での主体性のなさによって高価な武器の購入などが行われ、適切な予算配分が阻害されています。その上、産業構造の変革も一向に進みません。防衛産業よりも防災産業の育成に力を注ぐべきだと考えますが、そうしたグランドデザインも示されていません。東京の食料自給率1%はやはり異常です。実務を担う人材という観点でみても、人口あたりの公務員数が諸外国に比べて少なすぎます。大きな政府がよい訳ではありませんが、真のエリートが日本には少なすぎることも事実です。

政治の本質は希少資源の分配にありますから、予算をどう配分するのか、国民一人ひとりがもっと関心を持つべきです。そしてその政治に枠をはめ方向性を示すのが憲法ですから、私などは国の未来を考えるとき、憲法を意識せざるを得ません。例えば、教育の在り方、生活困窮者の救済、経済的自由、学問の自由、権力分立のあり方、国会による行政監視機能の充実、司法の役割、地方自治の意義、平和と領土問題など考えさせられるテーマばかりです。こうした問題は今後も私たちが引き続き関心を持ち続けなければならないと考えます。

昨年は、大学生はキャンパスにすら入れず授業はオンライン、社会人の方々はテレワークの普及など、塾生の皆さんの生活スタイルも激変しました。何よりも司法試験、司法書士試験の延期、公務員試験の内容変更などで受験生としても振り回され続けた一年でした。創立25周年を迎えた伊藤塾でもライブ講義を一時中止、教室の移転、そしてYouTubeやZoomなどネットを一層活用し変化の一年でもありました。

一方で、コロナで可処分時間が増えたことをむしろチャンスと捉え、伊藤塾で勉強を開始して将来に備えようとしている塾生の皆さんの姿は、とても頼もしく思えます。今後も何が起こるか予測もつかない未来に向かって、外部環境の変化に振り回されないだけの自己資源を蓄える準備を着々と進めていくことは、自分の中の不安に打ち勝つ克己心がないとできないことです。今年も自信をもって進んでほしいと思います。

民主主義をめぐる世界の情勢も各地で大きな変化が起こりました。安倍首相の辞任のみならず、米国大統領選挙、中国の戦狼外交などは日本にも大きな影響を与えます。香港情勢も激変しました。香港国家安全維持法によって一国二制度が事実上崩壊し、行政長官による裁判所への介入も露骨です。日本を棚に上げてあえて指摘すれば、近代立憲主義諸国の普遍的な制度である司法権の独立が脅かされています。日本はこうした情勢に対して人権擁護の観点からの的確な発信をすべきなのにできませんでした。

1年前の雑感では、環境問題に触れた後「地球も有限の存在であることをしっかり自覚して一日一日を大切に生きなければと改めて思いました。」と書いています。2020年は地球が有限である以上に、そもそも私たちの命も有限であることを強く認識させられた1年でした。そして当たり前と思っていたことが当たり前でなくなる現実を目の当たりにして、精一杯生きる一日一日の大切さを痛感しました。

これまでは大学生は大学に行き勉学のほか、サークルやアルバイトに勤しむのが普通でしたし、社会人は通勤時間を工夫しながら勉強するのが当たり前でした。自分の周りに誰かがいるのは当たり前、渋谷が外国人で賑わっているのも当たり前、試験日が来たら試験が行われるのが当たり前。昨年、こうした一つ一つの当たり前が一気に崩れていくのを見ながら、「通常」とか、「いつもどおり」とか、「安定」「平穏」という概念に価値を置きすぎていると、かえって不安になることがわかりました。安定した未来が待っていると期待するから不安が生まれます。私は従来から「普通」を嫌い、人は皆違うこと、社会や人間関係は不安定こそが原則だと思ってきました。日ごろからこのように考えていると、昨年のような経験したことのない事態においても心の平穏を保つことができます。

確実なことは、「自分の命が有限であること」と、「この先どうなるかわからない」ということの2点だけです。不安を感じたときに「なぜ不安を感じるのか」と問いかけてみると、多くの人から失敗が怖いから、将来どうなるかわからないからという答えが返ってきます。ですが、もともと将来など誰にもわかりません。未来を予測することは不可能だと思ったほうがよさそうです。自分の人生すらどうなるかわからないのですから、自分がコントロールできない社会の未来の出来事や事象を思い煩って不安になってみても意味がありません。それよりも最初から、先は見えないものだと認識しておいた方がよほど楽に生きられます。

この先どうなるかわからない、不確実だからこそ、かえって何が起こるかわからなくてわくわくできるのです。つまり面白い人生になる。不確実性を面白がることがより一層重要な時代になっていると思います。不確実な現実の状況を理解して、自分の人生も不確実で不安定であるからこそ面白いと思えるようになりたいものです。今年は、そう思えるだけの心の強さを持ち続けたいと思っています。

心を強く持つこと、意志を強くすること、自分が生み出す不安に打ち勝つこと、そのためにはいつにもまして自分の感情を大切にしたいと思っています。あらゆることに対し感覚を研ぎ澄まして、自分の感情を尊重しようと思います。自分が心からやりたいこと、挑戦したいことを自分の素直な感情を受け止めながら推し進めることが人間らしいと思っています。自分の感情に素直になり、感情を原動力に行動したいのです。伊藤塾の可能性、自分の未来に蓋をしたくありません。今年も昨年以上に不確実な時代になるからこそ、わくわくしながら新しいことに挑戦していきたいと思っています。