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2021年5月

2021年5月 3日 (月)

第310回 職業としての裁判官

74回目の憲法記念日を迎えました。例年であれば、全国で様々な集会が行われますが、コロナ禍で寂しい限りです。情報の受け手の側に置かれることが多い市民が、集会への参加や発言によって送り手の側に回れる貴重な機会ですから、表現の自由に対するコロナの影響は計り知れません。

表現の自由は、他の自由権と同様に自らの幸せに直結する個人権的な側面(自己実現の価値)があるのみならず、他者や社会全体の幸せに直結する民主主義的な側面(自己統治の価値)があるところにその際立った重要性があり、優越的な地位を占めると理解されています。

そして、特に多数意見とは異なる異論、異端の表現行為を保障するところに憲法が表現の自由を人権として規定した意味があるといわれます。東京大学、コロンビア大学ロースクール、国際基督教大学、神奈川大学、立命館大学などで教鞭をとられた故奥平康弘東大名誉教授は、「これが犯罪?『ビラ配りで逮捕』を考える」(内田雅敏 岩波ブックレットNo655)のコラムの中で次のように述べています。少し長いですが引用します。

このコラムを終えるにさいし、大急ぎで「表現の自由」の本来の意義を語っておきたい。この自由の核心は、「(既存秩序)に挑戦する自由」、「トゲのある言説を唱える自由」「異論を述べる自由」であって、そういうものとして本来的に「少数者の権利」たる性格を宿命的に帯びている。その意味では、いつの世にあっても「ダサイ」ものとして一般大衆からは脇に置かれる運命にある。  それはそうだ。一般大衆受けの「当たり障りのない日常生活に関わる情報」、「誰にでも有用で役に立つ情報」、「トゲのない心地好い情報」などなどは、あえてわざわざ憲法によって保護されるまでもなく、事実上はほぼ完璧なまでに自由に流布される。その自由は、憲法21条の規定と無縁だ、とさえ言いたいぐらいである。   表現の自由がその意義を発揮するのは、世のなかの周辺に追いやられようとするメッセージに、当該個人の存在をかけた主張として、また、私たちの政治的な共同体が活性化するのに価値のある情報として、最大限必要な保障を与える局面においてなのである(同書54頁)。

公園や広場などのパブリックフォーラムで実施される集会やデモ行進は、時に賛同しがたい主張のものもあります。それでもヘイトスピーチのような自己実現、自己統治の価値と無縁のもの以外は、可能な限り尊重しなければならないのです。その意味では民主主義社会は、ある程度の「迷惑」や「不愉快なこと」に寛容でなければなりません。そして、その寛容さは特に為政者には強く要請されます。権力を行使する側の人々は、国民、市民から監視され批判されることがいわば仕事ですから、それに堪えられるだけの耐性と寛容さを資質として求められます。ただ、それは何を言われても何も感じない無神経さや傲慢さとは別ものです。批判を受け止める寛容さと謙虚さということです。

そしてその寛容さは政治家のみならず、司法官僚にも必要なことだと思わされた事件が50年前に起こりました。司法試験に合格すると当時は2年間の司法修習が待っていました。合格者は、そこで実務を学び、様々な人と出会い、ときに生涯の友人を得たりすることもある濃密な時間を過ごしました。現在は修習期間も1年余りに短縮され、今年はコロナ禍の影響でオンライン修習も増えかつてとは様変わりしてしまっていますが、司法制度改革によってロースクールが始まるまでは、弁護士、裁判官、検察官という将来の進路と人生を考えるのに十分な時間でした。

この修習期間中に裁判官に任官することを決意し、採用される予定であった7名の修習生が1971年3月30日、任官拒否を通告されます。そのうち6名は青年法律家協会のメンバーで、もう一人は同調者とみなされていました。青年法律家協会(青法協)は1954年に学者、弁護士、裁判官、検察官、修習生など幅広い法律家が集まって創立された団体です。すべての政治的立場を離れて、憲法と平和、人権を擁護することを目的としています。

このころは、司法権の独立、裁判官の独立が重大な危機にさらされていました。公務員の労働基本権に関する判例として有名な東京都教組事件で1969年4月に最高裁が無罪判決を言い渡すと、政府・自民党はこれに危機感を抱き、これ以前からのリベラルな判決にも保守層は焦りを募らせていました。そのような中で同年8月に平賀書簡事件が起こります。長沼ナイキ基地訴訟を担当した札幌地裁の福島重雄裁判長に、同地裁所長の平賀健太氏が国側勝訴の結論を示唆した書簡を届けるのです。完全に裁判所内部からの司法権の独立を脅かす事件なのですが、当時の石田和外最高裁長官は平賀所長への同情を述べ、飯守重任鹿児島地裁・家裁所長が自民党の外郭団体の機関誌に青法協を反体制集団と決めつけて平賀擁護の所見を公表しました。

このあたりから平賀書簡事件は裁判官の独立の問題から、裁判官の団体加入をめぐる問題に変化していったといわれます。石田最高裁長官は1970年年始の裁判所時報で「裁判のこの公正は単に公正であるというばかりでなく国民がこれを信じて疑わないものであることが必要である。」として「公正らしさ」を強調しました。ここでの公正は既存秩序の維持ですから、裁判所を改革しようとする若手裁判官には大きな影響があったに違いありません。

1970年4月には22期の司法修習生の終了式が行われ、裁判官任官志望者3名が不採用になります。2名は青法協会員でした。当時は多くの若手裁判官が青法協会員でしたが、このころから執拗な脱会工作が行われていきます。いわゆるエリートコースと言われる最高裁事務総局付け判事補15名のうち10名が会員でした。後の最高裁判事や内閣法制局長官になるような人も青法協会員だったのです。

そして、1971年3月には青法協会員であった宮本康昭判事補の再任拒否問題が起こります。そうした中で23期修習生の卒業目前に7名の任官拒否が通告され、この23期の終了式において、阪口徳雄修習生が、任官拒否された7名に発言させてほしいと礼を尽くしてマイクをとって発言しました。特に大きな混乱もなかったのですが、最高裁は即日、本人の弁解も聞かないまま阪口氏を罷免処分にしました。耳の痛いことは何一つ聞きたくなかったのかもしれませんが、権力の側の人間としてあまりにも寛容性に欠けており、言論封殺を最高裁が自ら実践してしまったのです。その後、大きな国民運動や最高裁裁判官国民審査の高い罷免支持率などから、阪口氏は2年後に法曹資格を回復します。

こうして裁判官任官拒否、判事補再任拒否、修習生罷免と立て続けに、最高裁という大きな権力が働いたことの影響を受けたのが、23期の修習生でした。その皆さんたちが、罷免事件からの50年を振り返って、この問題の本質はどこにあったのか、そしてどのようにこの50年を法律実務家として生きてきたのかを綴った書籍『司法はこれでいいのか』(現代書館)が出版されました。推薦の帯を書かせて頂き、その出版記念集会のシンポジウムに参加したのですが、ぜひ皆さんには合格後を考えるためにも手にとって頂きたい本です。

どこの国でも、司法権の独立の確保や官僚司法の打破は、大きな課題です。ドイツでも1960年代から裁判所の民主化が叫ばれ、ナチスに加担した裁判官の追放、裁判官の政治活動の自由の保障や、市民に開かれた裁判所をめざした改革が進みました(『市民としての裁判官』日本評論社)。1970年代になるとリベラルな裁判官の集まりが結成され、80年代には、司法の権威主義的、封建的構造や上司による言論の自由の侵害などを批判する裁判官がどんどん増えていったそうです。同時期の日本とは全く逆方向です。

ドイツ連邦憲法裁判所のキューリンク裁判官は、次のように述べています。 「裁判官個人の独立ということが、大いに重要視されるべきです。裁判官個人の独立というのは、まず外からの影響を受けないということです。判決は自らの認識に基づいて下すべきで、昇進などのような手段でもって、裁判官の判決の内容に影響を及ぼすことも大いに批判に値することです。」「裁判官の独立にとって必要不可欠な条件としては、裁判官の市民としての自己認識があげられます。市民としての自己認識というのは、自分が他の市民と同じ世界に生きているということです。裁判官は一般市民と同様に公の場での発言、あるいは政治的な活動を行うべきだと私は考えています。こういった個人的な独立は保障されなければなりません。」(同書34頁)

ドイツでは裁判官が労働組合を結成し、各種勉強会に参加し、環境、反核に関する政治運動も普通に行っていますし、ミサイル配備反対で座り込みデモまで行っています。ドイツ裁判官法39条には「裁判官は、その職務の内外を問わず、また政治活動においても、その独立に対する信頼を損なわないように行動しなければならない。」と規定されているのですが、裁判官が個人として政治的意見を持っていることは当然であり、日本のように政治的中立性を装うことで市民からの信頼を得ようとは全く考えていないようです。

もちろんこうした司法改革には強い反対もあったようですが、ワイマール時代に見かけだけは中立に見えた裁判官の多くがナチスの適応者になっていった過去を反省し、自己の立場を明確に表明しそれによって自分の判決に加えられる批判に耐えられるだけの論理性や事実摘示の緻密さを追求する裁判官の方が、自分の政治的立場を表明しない裁判官よりも信頼されるとのことです。

韓国では、2003年から官僚司法の打破のために、法曹一元(司法試験合格者は一度全員弁護士になり弁護士経験者の中から裁判官や検察官を選ぶ制度)が検討され始めて、2013年に一部開始し、2023年には完成するそうです。法曹一元ですべて解決するわけではありませんが、私は日本でも裁判官人事の透明性を高める改革を経た上で、法曹一元を実現することが、官僚司法を乗り越える上で、重要なことだと考えています。

裁判官を職業として選ぶ人には、その職業につくことの意味を再度考えてほしいと思っています。薬事法距離制限事件の判例が指摘するように職業には3つの意味があります。①自己の生計の維持、②分業社会における社会的機能分担、③個性を全うすべき場として個人の人格的価値と不可分という意義と性格です。

少し前の雑感307号でアメリカ連邦最高裁の中で保守派と言われるロバーツ長官の「司法部門は、憲法を代弁する。…その仕事のためには明らかに政治部門からの独立が必要です。」という言葉を紹介しました。裁判官には憲法を代弁する職責があり、それを実現することは決して不可能なことではありません。長沼事件一審判決を書いた福島重雄裁判官のように、海軍兵学校卒で、同期会で軍歌を歌うような裁判官であっても、職務を忠実に果たす良心さえあれば、個人的な思想・信条に関わりなく、憲法に忠実な判決は出せるはずなのです。

裁判官は、人権保障と憲法保障という崇高な目的のために権力を行使することができる希有な職業です。裁判官としての良心に基づく自らの意思で憲法に命を吹き込むことができますし、目の前で苦しんでいる原告に希望の光を与えることもできます。これは裁判官にしかできないことです。すべての裁判官には良心に忠実に職責を果たし、憲法と法律にのみ拘束される気高い精神と高い志を持ち続けてほしいと願っています。