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2021年6月

2021年6月 2日 (水)

第311回 憲法改正手続法

国会では憲法改正手続法の改正案が審議されています。2016年の公職選挙法の改正に伴い導入された投票環境向上のための7項目の規定を憲法改正の場面でも適用できるように整備するものです。駅や商業施設などに「共通投票所」を設置して投票しやすくすることが柱となっています。これ自体は良いことのように思われるかもしれませんが、改憲手続に関する根本的な問題が解決されていません。このまま改憲手続が整備されたとして、改憲発議が強行されたりすると重大な憲法問題が生じることになります。

日弁連もこの問題に関しては、有料広告規制や最低投票率等について、2009年から継続的に意見書、決議、会長声明を出し続けています。2019年の意見書においては、テレビ・ラジオを使用した有料の広告放送(勧誘CM)のみならず、意見表明のための有料の広告放送(意見表明CM)についても禁止期間を国民投票期日前14日間に延長し、国民投票運動が資金力などによる影響を受けて不公平なものにならないように検討すること。さらに、最低投票率の規定を新設することなども求めてきました。

今回の改正では、衆議院において、有料広告規制等については法施行後3年を目途に必要な法制上の措置を講ずる旨の付則が追加されましたが、検討の先送りにすぎない上、最低投票率等については触れられていません。実は、有料広告規制や最低投票率については、2007年の参議院の附帯決議において検討を求められているのです。仮に具体的な検討がなされないまま改正がなされた場合、不十分な手続法の下で公平性や正当性に疑義を抱えたままで、国民投票が行われてしまうおそれがあります。

現在国会で審議されている7項目のみについての憲法改正手続法改正案に対しては、改めてその抜本的な改正を求めなければならないと考えています。少し掘り下げてその理由を考えてみます。固い話になりますが、お付き合いください。

コロナ禍でワクチン接種が十分に進まない中、国民には緊急事態宣言を延長して不自由を強いながら、一方でオリンピック開催を強行しようとしています。国民の声を聴いてしっかり議論すべき課題は憲法改正以外にも山積みだと思うのですが、一部の政治家によって積極的に改憲が推し進められようとしているのです。確かに自民党の存立基盤が改憲ですから、気持ちはわかるのですが、何故今、そこまで拘る必要があるのかと疑問です。

憲法改正は、憲法制定権者である国民がどうしても改憲が必要だという意思を持ち、その国民の改憲意思を国会議員が受け止めて、国会において発議され、国民の間で十分に議論されて進められるべきものです。ところが、実際は一部の政治家主導によって強行されようとしています。そもそも近代立憲主義憲法は政治家など国家権力を行使する為政者を縛るためのものであるにもかかわらず、為政者の側から改憲を主張するということは、為政者が今までよりも自由に権力行使することを許すものになり、それは同時に国民に不自由を強いることを許す改憲であることを意味します。

確かに、安倍前首相が改憲4項目として主張し菅首相が継承するといっている改憲項目を見ても、それがよく理解できます。

その最たるものが、緊急事態条項の改正といえます。何度か、この雑感でも指摘しているように十分な補償を伴う私権制限は現憲法の下でも可能です。それにもかかわらず、改憲を主張することは、現憲法ではできない補償無しの一方的な私権制限を可能にしようという魂胆が透けて見えてきます。

自衛隊の憲法9条への明記も同様です。2015年9月成立の新安保法制法によって可能となった集団的自衛権行使をはじめ、自衛隊が海外で戦争することは、明白に違憲ですが、それに対する違憲の主張や裁判を封じるために、自衛隊を憲法に明記して違憲と言わせないようにしようとしています。

選挙制度についても、憲法47条を改正して人口比例選挙を否定し、参議院選挙も都道府県単位の選挙制度にすることによって、人口比例選挙が行われなかったとしても訴訟で争えなくします。投票価値の不平等を憲法上許容してしまうための改憲です。

教育に関しても、コロナ禍でより一層、教育条件の整備拡大が必要なところ、そしてそれは現行憲法の下でも十分に可能であるにもかかわらず、国がより教育内容に積極的に介入できるような改憲を目指そうとしています。

これらの自民党が目指している改憲項目は必要ないどころか、どれもかえって国民・市民の人権制限を強め、平和から遠のき、民主主義を後退させるものです。基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という憲法の基本原理をすべて後退させ、立憲主義の理念に反するような改憲は、必要ないのみならず、有害だと考えています。

その上、これらの改憲が十分な国民的な議論がなされずに、資金力によって偏った内容の意見広告が氾濫し、国民がムードや雰囲気に流されてしまう中で強行されてしまうと、取り返しのつかない事態を招くことになります。

例えば、政府がしっかりと対応できないのは憲法の緊急事態条項がないからだ、災害救助で頑張っている自衛隊がかわいそう、合区解消のためには選挙区制度の改憲が必要だ、教育の無償化につなげるための改憲だから必要、などの意見がテレビ、ラジオ、ネットの広告として頻繁に流されるようになれば、このような誤った情報に基づく判断によって取り返しのつかない結果を招く危険があります。

なぜなら、そもそも改憲手続は主権者たる国民の制憲権の発動であり、選挙などの間接民主制とは大きく性質が異なるものだからです。通常の選挙とは、次の3点から全く位置づけが異なることを理解しておかなければなりません。

まず、投票結果がそのまま国のかたちを変えることにつながってしまうという点です。選挙は代表者を選ぶだけであり、その後の代表者による十分な審議討論が期待できますが、国民投票はそれがありません。国民による投票結果がすべてです。代表者による審議討論妥協のプロセスがないのですから、国民投票運動の過程でそれを十分に保障しておかなければなりません。

しかも、その結果は、どのような不当なものであっても、主権者たる国民の意思が表明されたことを理由に、正当化されてしまうため、国民主権の名の下における憲法破壊、人権侵害が起こる危険があります。プレビシット(提案権者に対する信任投票になってしまう)の危険といってもいいでしょう。

その上、憲法改正手続は、少数者を守るはずの憲法を多数意思で変更するという、ジレンマを元々、内に持っている手続なので、より一層慎重に国民的議論が行われるように配慮することがとりわけ必要だということです。

こうして考えてみると、憲法改正の手続は、通常の選挙以上に、慎重でなければならないし、情報の資金力による偏りなどがなく、必要な情報が提供されて、十分な国民的な議論が行われる制度であることが不可欠であることがわかります。また、その手続の適正さは結果の正当性を支える唯一の根拠となるのですから、改憲派にとっても手続の適正は必須の条件のはずです。

手続が不十分なままの見切り発車は、国民にとって、自己責任で片づけることができない、極めて重大な不幸な結果を招く危険があるので反対です。今回の7項目の憲法改正手続法の改正は許すべきでないし、選挙法と同程度ということで、決して許されることではないと考えています。皆さんも憲法的観点から掘り下げて考えてみるきっかけにしてみてください。