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2021年11月 2日 (火)

第316回 多様な人材

衆議院総選挙が終わりました。翌日の新聞には、「自民伸びず過半数は維持」(朝日新聞)、「立・共協力に温度差」(読売新聞)、「立憲伸びず維新躍進」(毎日新聞)などの見出しが躍っていました。個人的には安倍・菅政権下での非立憲的政治が変わるのか、改憲発議に向けた議論が活発化するのかなど気になることも多いのですが、何よりも投票に行かなかった人達の意識が気になります。9月に行われたドイツの総選挙の投票率は、大洪水に見舞われたため気候変動問題が大きな選挙争点になり76.6%に達しました。日本でもコロナ対策や災害など身近な争点があったはずなのですが、今回の投票率は約56%で戦後3番目に低かったそうです。

「何も変わらないから投票に行かない」という声を聞くことがあります。選挙で自分が1票投じたところで何も変わらないのだから無駄だということのようです。実際、日本では政権交代はほとんど行われていませんが、政権交代があったところで、大きく政治が変わる実感など持てないのかもしれません。

実際のところは、安倍政権から悪夢と批判された10年前の民主党政権で決定した、原発再稼働、TPP参加、消費税増税、女性活躍などの政策が自民党政権によって引き継がれています。民主党による東日本大震災対応や原発事故対応がお粗末だったと批判する人もいますが、自民党政権によるコロナ対応を高く評価する人も少ないでしょう。「準備していないことはできない」という危機管理の原則は、どんな政権であっても同じだということです。こうしてみると政権交代があってもなくても変わらないように思えてしまいます。

だから、選挙に行っても無意味なのでしょうか。私はそれでも政権交代には意味があると考えています。政治に緊張感を与えるからです。この緊張感こそが官僚に忖度や公文書改竄などをさせない重要な動機付けとなると思っています。権力は集中すると腐敗します。絶対的な権力は絶対的に腐敗します。だからこそ権力分立があります。この権力分立を時間軸において実現するものが政権交代です。時間的な権力の分立といってもいいでしょう。私たちの権利と自由を護るために政権交代が必要だと考えています。政権交代させられるかもしれないという危機感を政治家に抱いてもらうために選挙にいく必要があるのです。

今回の総選挙では、与野党問わず、ベテラン議員が小選挙区で落選しています。世代交代を求める声、若手の活躍を期待する有権者が変化を求めたということでしょうか。私は変化を望む多様な民意を反映するためには、まずは一人一票(投票価値の平等)の実現が不可欠だと考えています。そして、それと共に選挙権と被選挙権の年齢差や衆参の被選挙権の年齢差を解消する選挙制度改革も必要だと思っています。被選挙権に関しては、年齢の引き下げだけでなく供託金制度も見直さなければなりません。たとえば衆議院選挙小選挙区に立候補するには没収覚悟で300万円の供託金を準備しなければなりませんが、それは容易なことではありません。

1925年の男子普通選挙導入に伴って、無産階級からの参入を阻止するために導入されたともいわれる供託金制度は、選挙資金とは別に多額の資金を用意できる者しか立候補できないという事実上の参入障壁になっています。早急に見直すべきです。泡沫候補を防ぐという趣旨も実効性があるか怪しいものです。泡沫かどうかは有権者が決める事であって、参入自体を制限する理由にはならないと考えます。多様な有権者の声を国政に届けるためには、多様な有為な人材が立候補できるような制度設計にするべきです。一部のユーチューバー等の売名行為、営業行為と認められるようなものを規制することは必要ですが、それを供託金制度で解決しようとすることは今の時代に相応しくはないでしょう。

いろいろな政治家がいていいと思っています。若い人も年配者も全国民の代表として仕事をしてくれるのであれば、年齢は関係ありません。また、その政治手法や信条も多様であっていいと思っています。多様な国民の声が多様な代表者によって国会での議論に反映されることが大切なのだと思います。

そして、政治部門の担い手と同じように司法部門の担い手も多様であるべきだと考えて伊藤塾を創りました。様々なバックグラウンドを持った方々が法律知識ゼロであっても法曹を目指して学べるような合格システムを作り上げようと考えてここまでやってきました。

どの試験でもそうですが、合格者インタビューをしたり合格体験記を読んでいると様々なタイプの合格者がいることがわかります。年齢、性別、国籍、学歴のみならず、この試験を目指した動機、背景、これまでのキャリア、学習経験、可処分時間、生活環境、学習環境、勉強方法、時間の使い方などなどありとあらゆる点に個性が見えます。考えてみれば当たり前のことです。人は皆違うのですし(憲法13条)、それぞれに個性があります。個性とは、年齢、性別、国籍、人種、民族、宗教、学歴、職業、趣味、障害、性的指向、世界観、死生観、思想、体験、その他の無限の要素の組み合わせから出来上がっていますから、それこそ多種多様、無限のバリエーションがあります。

こうした多様な受験生のニーズに合わせるために、伊藤塾ではいろいろなタイプの講義を提供してきました。前回書いたように意味のある雑談をする私のような講師もいれば、わかりやすく試験対策に特化した講義も必要なので、そうした役回りを演じてもらっている講師もいます。また、法科大学院生に向けて、大学教授の書いた基本書や演習書をどう読み解いて試験に活かすかを講義することが得意な講師もいます。全くの初心者向けの入門講座から既修者向けの1歩突っ込んだ講義まで揃っているところも伊藤塾の強みです。このように多様なニーズに応えることは大変ですが、法律家の層を多様にしたいという想いから始めた伊藤塾だからこそできることであるし、しなければならないと考えています。

合格者が多様ですから、伊藤塾で合格したといってもその講義の活用法などもそれぞれです。合格体験記を読み自分と似た環境の合格者の勉強方法を完璧にコピーしたからといって、同じように合格できるはずもないのですが、どうしても安易にまねをすれば良いように思ってしまう危険があります。もちろん合格者の声はとても参考になるのですが、自分と違うところを意識しないとかえって振り回されて失敗してしまうおそれがあります。他方で、どうせこの合格者と自分は頭の出来が違うからとか、年齢が違うからとかの理由を付けて、その合格者から何も学び取ろうとせずに、自分がうまくいかない言い訳を探してしまうことも生産的な対応ではありません。

他者である合格者の成功、失敗の体験から何を学ぶかというトレーニングすること自体が、実は将来、実務で活躍する場合に必要な能力を磨くための訓練になります。自分が担当している事件以外の様々な事案から教訓を学びそれを活かすことが必要だからです。そしてまた、このことは単に試験勉強における合格不合格の問題ではなく、あらゆる生活場面、仕事の場においても必要なことです。自分の過去の経験から学ぶことはとても重要ですが、自分が経験できることは当然に限界がありますから、他者の経験から学びを得ることは自分の成長にとって極めて有意義なことです。あまりにも当たり前のことを言っているようで恐縮なのですが、「他山の石」、「人の振り見て我が振り直せ」、「前車の覆るは後車の戒め」、「One man’s fault is another’s lesson.」など昔からの言葉には真実があるということです。

このように多様な合格者の体験の中から、合格に必要な共通する要素を見つけ出し、それを体系化して最も合理的で効率的な勉強方法を伝えることを40年間行ってきました。これまで接してきた様々な合格者たちを少し俯瞰して観ると、個性的な合格者の中にもある程度の共通点が見えてきます。盤石な基礎、手を広げない、情報の集約一元化、そして何よりも素直さと自分を知ることに長けていることがわかります。

そんな伊藤塾出身司法試験合格者のための祝賀会を毎年、神戸港クルーズ、東京湾ベイクルーズで行ってきました。昨年度はコロナで延期となってしまったのですが、先月やっと実現することができました。今回の祝賀会は例年と大きく変わりました。2020年合格者と2021年合格者の合同にしたこと、乗船人数との関係で入門講座受講生に限定したこと、コース料理をいただく着席形式にして酒類提供を止めたこと、同伴者なしで本人だけにしたこと、東京では一隻借り切って2フロアーで行ったこと、来賓挨拶をビデオメッセージにしたこと、記念品としてタンブラーをお土産にしたこと等、他にもいろいろと例年とは違う新しい挑戦をしました。

クルーズ船による合格祝賀会という基本は維持しつつ、どう変化させるかをスタッフは相当考えたようです。結果的には楽しく盛り上がる素敵な祝賀パーティーとなりました。この船での祝賀会を目標に勉強を頑張ってきたという合格者もたくさんいましたし、伊藤塾といえばクルーズ祝賀会という25年かけて築き上げたイメージを継続させられて本当によかったと思っています。これからも、国会議員における多様性の実現に負けないように、行政官と法曹の多様性の実現に向けて、さらに様々な受験生の皆さんの合格と合格後を支援していきます。